山の雪と都会の雪

しょーもないことで傷つくわたしは
最近も相変わらずしょーもないことで傷ついていて、

そのうちのひとつが、コレ。

 

「雪なんて、何も面白くないでしょ」

「雪景色なんて白いだけじゃん」

 

ぶえええぇぇぇぇ!!?

ええええぇぇぇぇ!!!!!

えぇ………………

ええーーーーー

 

キレイじゃん…………!!

雪、美しいじゃん!!!

 

東京の雪ならべちゃべちゃしてるし
すぐ溶けてコンクリート露出するしで
なんてことないけど

北海道の雪はフワフワフカフカ
いつまでも真っ白だし
めちゃくちゃすばらしいぞ……!

特に、積もりたての雪をサクサク踏みしめる感触な!!

 

白い雪景色が何も面白くないなんてことも、ないぞ!!!
そこに宿る静けさ美しさあるやんたまらないやんああー!!
と き め く ……ッ!!!!!

 

って、衝撃と勢いにまかせてついついまくし立ててしまったんだけど……
相手さんにはピンと来てないようでした。

 

うーん……でも……まあ

見飽きてる人からしたら、そんなもんなのかな…………

 

わたしだって、都会にときめく人がいても

『灰色のビルばかりで何も面白くないでしょ』

『人が多くて疲れるだけだよ』

とか言いそうな気がする。

うん言う
絶対言ってるわ。

 

雪による苦労を知らないから
呑気に喜べるというのもあるだろうし……

うん…………

 

感性を共有できないのは寂しいけど…………

まあ、しょうがない。
しょうがないよな。
しょうがないんだ…………

私だって、相手にしろ他者にしろ
誰かの感性に対して無神経なとこあるハズだしな…………

 

しょうがない

しょうがないんだ……

しょうがない、んだ……!!

 

すーはーすーはー

 

てな感じで、
反芻しては傷つき直して
その都度必死に自分をなだめてたw

 

それとは別に、
山暮らしから都会へ戻ったことについて
『雪景色を味わい足りなくて残念だった』ってことをこぼしたとき、
こういうお返事がありました。

 

「まあ、雪なら、札幌でも見られるからね」

 

ぶえええぇぇぇぇ!!?

ええええぇぇぇぇ!!!!!

えっ……ちょっ…………!?

 

えっ、こ、このひと、このひとは、
私が、ただ単に、「雪という物質」を目にできればいいと、そう、
そういう解釈をした、て、いうこと!!???

 

ええええぇぇぇぇちがうやん!!
ちがうよーーーーー!!

 

自然の風景の中で見る雪と
都会で見る雪…!
まったくの……別ものやん…………ッ!!
(都会だと遊びにくいしさァ!!)

 

私の中では当たり前すぎて
わざわざ言うことじゃなかったんだけど、

そうか、わざわざ言わないと共有できないことだったんだな……!

そ、そ、そうだよね……!
ひとりひとり、ものの受け取り方は違うよね……!
しかたないことだよね…………
しかたない……しかたない…………
しかたないことだ…………

 

相手さんとしては
残念がる私を励まそうと
親切で言ってくれたことなんだけど

当の私は動揺のあまり
励まされるどころではなく
反芻しては傷つき直して
その都度必死に (以下略)

 

……まあ、そんな感じで、
私の傷つき感度は絶好調なのであります…………

「傷つきやすい」だとなんか繊細でまろやかな印象あるけど
めんどくさいね。ひたすらひたっすらめんどくさいだけの人だね。
はああぁぁ。

 

都会の雪は、道路やビルの露出が多いし
『これはこれでキレイだけど、やっぱり心を惹かれない』という感じではあります。

あとキレイなのは積もりたてだけで、その後は東京と同じく汚れた色も目立つようになるし。

 

でも、雪が降っているとき、
街灯の明かりが強く届くわずかな範囲だけ
舞い降りる雪がキラキラ照らされて幻想的です。

これは山では見られなかったやつだし(街灯ないから)、
とても美しいです。よきよき。

 

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感性を共有できないのは寂しいけど

なんで繊細な人間なんていう“ハンデ”を背負わなきゃいけないんだよ!

しかし一方で、何を前にしても苦しむ自分なんかと感性を共にしなくていい、とも思う。思うことで一層、感性を共有できないことが悲しくなるけど。

でも、そうやって悲しんでるのも自分勝手だなあと思う。
自分だって、少なくとも同じくらいは相手の感性を共有できていないはずなので。
本当は、“お互いを共有できない悲しみ”ではなく“自分が理解されない苦しみ”なんだよな。

相手にとって、理解されないことは苦しくないことかもしれない。
だけど、私にとっては苦しいことであり、相手によっては同じように苦しむかもしれないのだと、可能性に想像が及んでしまって、やっぱり苦しい。

ただし、自分が持てる以上の苦しみには想像力が届かないので、それは幸いだったと言えるのかもしれない……
そしてまた、想像力が及ばない分、本来背負うべき苦しみを無視しているのではないかと疑う。

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