「システムとは何だと思いますか?」からのアレコレ

知的交流SNS「Quora」を見ていたら、見出しの問いを見かけました。

コメントしてみるにはズレた回答である気がしたので (いやまぁ正解はないんですけれども)
ここへ記載することに。

元の問答内容

プログラマーのレベルがわかる究極の質問は何だと思いますか?

私は相手のレベルを知りたいとき、こんな質問をしてます。

「システムとは何だと思いますか?」

一口にシステムと言ってもさまざまな種類があります。
相手から逆に、「何のシステムですか?」と聞かれてしまうかもしれません。
そしたら、こう質問し直します。

「すべてのシステムに共通することは何ですか?」

個人によって回答は違うでしょう。
正解はありません。

 

……で、わたしからの答えが

『人間の労力を減らすために作られた設計』

です。

コメント見てると、皆さん
知識を用いて機能や役割から客観的な定義を導こうとしておられるので、

わたしの答えは小学生の言葉で主観的発想で存在意義についてを語ったものなので、

うーんなんかやっぱり根本的に違うのでは……
「プログラマー宛である」っていう暗黙の前提も丸無視だし……

と首をかしげつつも、

思いついた話をテキトーに進めていきます。

システムの実例

一般的に「システム」と呼ぶものは
巨大なコンピューターを動かしてむにゃむにゃ、ITごにょごにょ、なイメージがありますが (そういうのは「情報システム」と呼ぶのかな)

わたしの定義で行くと、人の知恵が及ぶところほぼすべてにシステムが行き届いていることになります。

たとえば、物の置き場所を決めておくことなんかもシステムです。

そうすることで、使うときに探し回らなくてよいという、労力の削減に貢献しています。
家族や仕事仲間など、他者と共有するものであればなおさらですね。
普段の導線に合わせた配置になっていたり、消耗品であれば買い足しについても決まっていると、なお良いシステムと言えそうです。

労力を削減できるということは、思考を削減することにもつながり、それは感情の安定にも一役買いますから、実際の貢献は目に見える労力以上のものとなります。

配送や訪問、通勤通学など移動の際の効率的な道筋をあらかじめ決めておくのもシステムです。
それが鉄道であれば、その道筋に線路を敷きますね。

でも、線路や電車そのものは、移動における労力を減らしはしますが「システム」ではないですね。
「道具」です。
使いみちについては「システム」です。
電車を動かす仕組みについても「システム」です。

ちなみに、「道具」の定義をするなら『人間の望みを叶えるために作られたもの』と言います。
その形態が物理であるか、非物理であるかは問いません。
「システム」は「道具」の一部と言えます。

鉄道による移動は、敷かれた線路の上を決められたように進むしかありません。
しかし、車や徒歩では、「道路」という道筋は定められているながら、もっと自由な移動をできます。

鉄道の通れる道筋は線路で固定されていますが、
車や徒歩で使える道路はもっと柔軟に移動できるよう作られており、また場合によってはそこすら逸れることが可能だからです。

ちなみに、鉄道には、線路だけでなく時間の制約もあります。
多くの人々で共有しながら使うものであるため、個々人の都合に合わせて逐一動かすよりも、それを集約しつつ鉄道側の都合を作って合わせてもらった方が、道具として、システムとして、優秀になるからです。

しかし、線路という物理的な固定がないにも関わらず、
飛行機は、鉄道以上に厳密な運行を求められます。

事故を起こしたときの、物理的・人的被害が大きいからですね。
被害の生じやすさや、その場合の規模が大きいと想定できるほど、安全性&確実性の高いシステムが模索され、そこから外れない厳密な運用が求められます。

これは、運用時点で見える労力ではなく、
事故が起こった際の立て直しにかかる労力(等)を削減するためです。

システムは、個人に近いほど自由度が増し、
及ぼす影響が大きくなるほど、厳密な運用が求められていく傾向があります。

様々なルールのもと、様々なシステムが日々、運用されています。

優れたシステムとは

昔、どこかで読んだ話なのですが……

ある工場に、自動でダンボールに中身を詰めて出荷する、というベルトコンベアがありました。

しかしちょくちょく詰めそびれが発生し、空箱のまま送られてクレームに……
ということが、起きておりました。

責任者さんはこれではイカンと、
流れてくるダンボールの重量を測って
空箱を検知したらブザーが鳴ると共にベルトコンベアが止まる、というシステムを、高いお金をかけて構築しました。

おかげで、空箱クレームが寄せられることはなくなり、よかったよかったと一安心……

して、いたのですが。

ある時を境に、検知ブザーが発動しなくなりました。

しかし、空箱クレームも引き続き来ないままなのです。

一体何が起こっているのかと、責任者さんが現場の様子を見に行ったところ、
そこにあったのは…………

_人人人人人人_
> せんぷうき <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

ラインの途中に置かれていた一台の扇風機によって、
重みのない空箱は先へ進むことなく
ベルトコンベアから弾かれていたのでしたwww

ブザーが鳴るたびに止まるラインを
その都度復旧させるのが面倒になった、
現場従業員の仕業だったそうです……!!

……さて、これ、
空箱検知機器と
扇風機と
どちらの設置がシステムとして優れているでしょうか……!!

機能性の観点からも
設置コスト(労力)の観点からも、

扇風機に軍配が上がると思うのは……
わたしだけでは、ないはず……!

あと面白いじゃん
 『ズコーーー』
ってなるやん!!
(その判断基準は ぉ ヵゝ ι ぃ)

しかも、設置コストが低いということは
「故障した時の復旧コストも低い」
ということなんですよ……!

システムの弱点

上記の「復旧コスト」という言葉にだいたい集約されます。

優れた (≒人の労力を削減する機能に優れた) システムほど、
その力が有効でなくなった場面で、かえって大きな被害をもたらします。

例外対応に弱い

前述の通り、規模の大きなシステムほど、運用も厳密になりやすいです。

運用開始直後や、小さな規模におけるシステムの運用は

「手間や思考を省いて余裕を作ろう、早くなってみんなハッピー」ですが、

それが当たり前となったり、大きな規模のシステムの運用になると

「手間や思考を省かないととても回せない、遅れたらみんなアンハッピー」に

ならざるを得ないからです。

その運用は画一的となり、
しかしそうしないと回せないから仕方がありません。

よく、融通が効かない対応への不満を「お役所仕事」と称したりしますが、
お役所というのはそれこそ、ほぼ最大規模のシステムで動いている場所だから、そうならざるを得ないのですよね。性別も年齢も職業も嗜好も関係なく、地域や国すべての人、さらには過去の事例まで含めた対応を提供しなければならないので。
サービス (と呼んでいいのだろうか) を受ける側は自分の属性だけ意識していればよいので、そこまで広く考えることは難しいのですが。

そんな感じですから当然、例外 (システム内で想定されていない事) が起こった際の対応には弱いです。

例外を見越して、余剰な人手を確保しておいたり、それらの人に権限を与えておくなどで対応することもできますが、
それでも対応できる幅には限りがあるだろうこと、そして人件費と判断力に優れた人員の確保が必要になることから、現実的には容易に打てる策とは言い難いです。

方向転換が難しくなる

「厳密なシステムほど、想定外の対応に弱い」

これの最たるものが、機械の動作ですね。
前もって人間に指示された以外の入力も出力も、おこなうことができません。

新しい機能(対応)が必要になった場合や方向性が大きく変わったときには、その指令を改めて組む (プログラミングする) 必要が出てきます。
場合によっては、内部の動作 (ソフトウェア) だけでなく、
外部の形 (ハードウェア) も変更せざるを得ません。

動作が物理的でも、そうでなくとも、
大きな規模で利用されている機械ほど、動きを改めるのは大変になりますね。

その更新が待ちきれない場合、量的になんとかなる範囲で、人間の労力でカバーすることもあります。
機械よりも人間の方が対応できる幅が広い……柔軟性があるため、
“プログラミング”の手間が小さくて済むからですね。

人間頼みは機械へ指示を出すよりもバグが発生しやすいですがw
馴染みのない機械言語やシステム設計を扱うよりもラクである (気がする) ため、
小さな規模の組織だと、情報伝達の経路が口頭のみだったり、必要になったら都度伝える、というなんとなくな運用になっていることが少なくありません。

しかし、そんな感じの情報共有でなんとか間に合うのは、確か10人程度が限界だったと記憶しています (元情報は忘れました、すみません)(体感的には『6人くらいじゃね…?』という気もします)
それ以上の規模になると、朝礼だとか掲示板だとか、情報を共有するための「システム」が必要になってきます。

そして、そうやって新たなシステムができると、
運用するための労力も新たに必要になります。

この例のように情報共有のシステムであれば、
組織の規模が大きくなるほど、共有する情報も増え、
運用の労力も増えていくことでしょう。

これは、更新する側の労力だけではなく、
共有される側の覚える労力や、
おそらく策定されるであろう情報共有における規則の作成、そしてそれへ従う労力なども含みます。

システムがない場合の労力を考えれば全然マシ……な はずではある のですが、
単純に扱う情報の量が増えていきますから、ラクとは言い難いのではないでしょうか。

システムのおかげで できることが加速されていく一方、
システムのせいで できないことや付随する負担は増えていき、
その対応のためのシステムがまた、追加されていき……
と、繰り返されていきます。

いくら人間が機械より柔軟であるからって、
無限の対応力を持っているわけではありません。

対応者が機械でも、人間でも、
システムによる地盤固めが強固であるほどに、
変更を加えることは……
方向転換を行うことは、難しくなっていきます。

学習コストが増えていく

上記の情報共有システムの例にあるように、
物事をラクにした先に、満足や余暇ではなく
「余剰になった労力でさらなる規模拡大をしたい」が続いていくと、
新しく必要になる労力は増え続けていきます。

最初は口頭伝達で間に合った、
メモ書きがあれば十分だったものが、

いつか情報の必要事項が増えていった、
記録の内容や形式が決まってきて、書類による管理という“システム”ができた、
書類棚の整理がやたらうまい人がいた

そのうち、物理的な保管では追いつかなくなった、
ITの導入だ!データ管理をするようになった
棚を圧迫しないので、過去の情報を削除しなくてもよくなった (法律上問題なければ)

これ自体は悪いことではない……良いこととも言えそうなのですが、
進むにつれ、覚えることが増え、ついていける人が減っていくのは、分かるでしょうか?

システムが貢献してくれるのは“労力の削減”であって、
“システムを扱うのに必要な能力の増大”には力添えしてくれないんです。

いやまぁ世代を超えてなら影響あると思うんですが
個人に関しては、時間と“労力”をかけて追いついていくしかないですよね。

書類の整頓ルールくらいなら、大抵の人はそこまで苦労せずに覚えられるでしょうが……
機械の操作が必要になったところでは、どうでしょうか?

PCの操作スキルに関しては、慣れ親しんでいない世代は本当に大変だろうなと思います。(だからといって、使えないと困る現場においてはできないことを許容できないというのがまた辛いところですが……)

そして……

PCの操作ができても、その内部データを管理するスキルは、また違うものです。
大規模のデータを効率的に扱うためには、そのための性格とセンスと経験が要るんです……!

基本的には物理的なお片付けの能力と大体同じなのですが、それを物理でないデータ上でやるのは物理とはまたちょっと違うんですよね。
机の上なら机の広さ以上に散らかることはありませんが ……と、言い切れないところもありますがw、
PCデータとなると机どころではない、量が無限かという勢いで増えますし、またその内容を物理的に並べるとかパッと把握するとかもできないですからね。

でも、PC操作の壁を超えても、データ管理ができるようになっても、
次に「プログラミング能力が必要になりました!」ってなったら、どうでしょうか?

ここまで慣れ親しんでこなかった人たちは特に、どれくらいの割合でついていけるものなのでしょうか?

そして、変化の早いこの時代。
ついていった先にもしも、アナログからデジタルへの移行に匹敵するレベルの“方向転換”が、起こってしまったとしたら?

システムは、人々の労力を削減するために開発されるものですが、
その扱い方は、自然に、直感的に理解できないものであることも多く、覚えるための労力はそれなりにかかります。

そして、大規模な方向転換が起こることは少なくとも、進化のスピードは早く、
関わる現場や使うアプリケーションごとに勝手が違う、ということは珍しくありません。

“労力を削減する”というのは“省き、特化する”ということでもあり、
慣れ親しんだ道を外れると途端に労力が必要になるのです。
“例外に弱い”のです。

ローカルルールは、便利ですが、
大海に出れば、かえって足を引っ張ることになりやすいのです。
慣れたものに固まった人間の頭は、機械よりも“方向転換が難しい”かもしれません。

システムの話というより情報とかITデバイスを扱う話となってしまいましたが、
学習コスト(労力) の増えっぷりは似たようなもの&分かりやすいので
そのまま突っ走りました。

覚えるの大変なんだよチクショーーー!!!

(楽しむ余裕がないとただの地獄ですね IT苦手な人たちがまじで心配です できなくなって初めてわかる できない人たちのくるしみ)

弱点まとめ

そんな感じで、

「システムは超べんりだけど、
そのぶん、外れると、つらいぞ!!」

という弱点が、あるのでした。

全体まとめ(? あとがき)

弱点が弱点なので、
組織もシステムも
デカくなりすぎは危ない、って思ってます。

だからさ……
大規模な組織とかシステムすごすぎひん……?
すげーよ……
なんでちゃんと運用できてるん……
みんなえらい…………

特にプログラミングに関しては、
そこそこかじった身であるので
バグが出ないなんてことはありえないという感覚でおりまして、
世の中のプログラムが日々粛々と動作してるのは
感動というか、むしろホラーなのです。逆に……!

2021年+@は某メガバンクさんがグダグダで、
利用者さんはホラー感じてらしたと思うのですが

わたしとしてはむしろ
他の銀行さんたちがそうならないことがホラーなんですよ……!!
怖ッッッ!!!

(いやまぁさすがにあの規模のシステムでまともにテストしてないとか納期実装スケジュールがギリギリすぎなのは『他の銀行さんもそうなりえるよね?』と思わないですけど)

ちゃんと実用できるような設計やバグ潰し、制作進行や実装後の運用、問題発生時の対応等々を踏まえた“システム”が
ちゃんと組まれてるってことなんですかね!!!
しゅっげーーー!!!!!



当記事の始まりは

私は相手のレベルを知りたいとき、こんな質問をしてます。

「システムとは何だと思いますか?」

「すべてのシステムに共通することは何ですか?」

という問いでしたが、

『それはそれとして
デケェシステム怖えぇ!!! (;ω;)
しゅげぇ!!!!! (;ω;)

という結論に至っちゃうわたしは

グダグダプログラマであったことがバレバレなのだと思います!
ヒエェ!!!!!

(おわり)

おまけ雑談

組織もシステムも
デカくなりすぎは危ない ?

ただ、大企業の経営者さんの経歴話を見聞きすると

『ああ、この方はこの規模で影響を及ぼす立場に就く人だったんだなあ』

ってしっくりした感覚を覚えることが少なくないので、

(あと、超大規模システムでも、稼働している様子がしっくり感じられたりする)

収まるべきところに収まるのが一番良い、
そしてそれが大企業(等)のトップなこともある、
であれば必然的に、そこには大きな組織とシステムも存在する

ということなのかなあ、
デカいと心配になるのはわたしが小物だから、大物の視野を持てないから、
ってことなのかなあ、

と、そんな気もします。

まあそれでも
『むやみやたらにデカくするのは望ましくない』は思いますけど……。
特に、虚栄心でそうしようとするのは、いかがなものかと。

だけど立場が人を育て、大きな器に押し上げることもありますし、
人生の物語は本人が歩みたいように歩むものなはずですし、
わたしからは「嫌なら離れる」以外に言える・できることはないのでしょうね。

人間の方が対応できる幅が広い・柔軟性がある

機械よりも人間の方が、単純なパワーやスピードを除けばいろいろできますが、

実は

「機械よりもプログラミング済みのことが多い」

ってだけで、

「プログラムに沿って動く」という点は実は
機械とそんなに変わらんのかなー

という気もしています。

いえ、「だけ」と称するには圧倒的な差なのですがw

感情や人間関係に関することなどは、
機械にはプログラムしきれないでしょうし。

それに、生まれてから見聞きしてきたことだけでなく、
遺伝子の情報もありますし。
人間自身で把握しきれないプログラムが、質量共に入ってるでしょうから。

わたしは人様の悩み事を伺ったりもしているわけなんですが、
いわゆる「メンタルブロック」「認知のゆがみ」「思い込み」
あと、負の感情を伴わなくても「思考の限界」というものに人が囚われているとき、

『ああ、その先や違う可能性は見えないんだなあ』と言いますか、
考えてることや言うことが画一的、機械的になるのだなあと感じます。

それは決して悪いことではない、

探索するよりも分かっている・決まっていることに従う方がラクだ、
自身の足で進むよりも敷かれた線路の上を通った方がスピード感あるし快適だし安全だし、
その人は意識的であれ無意識的であれ理由があってそれを選択しているのだ、

なのですが、

人生は急ぐばかりが善ではないはずですし、
ていうか急いでやることが同じところを行き来するばかりで他の景色を忘れることなのはどうなのかなって思ってますし、
線路の上に花が咲き乱れることはないのだから、

プログラムから外れた世界を知らない (忘れた) まま終わっていったらつまんないんじゃないかなあ
とも、思うわけです。

システムの隠れた弱点

これ、分かる人には分かるけど
分からない人には分からないし
本文の流れで説明することではないなって話なのでおまけに持ってきたのですが

「システムの恩恵を享受しすぎると、物事がどんどん見えなくなっていく」

というのがあるように思っています。

システムみたいな考え方しかできなくなる。
システムを使っているようで、システムに取り込まれている。
洗脳に近い状態になってしまう。

本質は本文に書いた弱点および、
「人間の方が柔軟性が高い」のお話と同じです。

労力を省き続けた結果、システムの外の世界が分からなくなって (そこに労力をかけることができなくなって) 柔軟性を失っちゃったり、

システムは決められた労力を省いてくれるだけであって、全部やってくれるわけではないのだ、主体は自分にあるのだ、本来自分でやることなのだ、できることなのだ、

そういうことを忘れてしまう、というか。

(上手く書けなかった)

さらなる本質に行き着いてしもた……

この記事を上げた翌日、このような単語を目にしました。

「生命システム」

…………

…………。

ッふぁーーー!!!!!

そうね生命活動の仕組みだって
システムだね……!

そして『人間の労力を減らすため』のものではないね!!
ッあーーー!!

いやその、言い訳なんですけど
『目的を遂行するために』とどちらの表現にするかは迷ったんですよ

そこで、『人間の労力』という表現の方が
内容を限定的に絞れていいかなって……!

説明はなるべく範囲を限定して、細かく具体的にするのがいいとおもってるの……

なおかつ、最大幅を持たせられるかなって……!

説明はなるべく多くの要素を包括して、物事の本質や原理を含めてするのがいいとおもってるの…………

しかし……
人間界に、囚われていた……

日頃『人類バーカバーカペッペッ (´;ω;`)』とか言うておきながら

思考が……人間界に……囚われていた…………
我は……自分が……情けない…………

けど、視野が広がった喜びも同時にあります。
アハ体験……!
負け(?)て悔しいけど、なのに嬉しすぎるぜ!
ワイもこういう気づきのお手伝いしたい!!
一般的には嫌がられるらしいけど!!

なんでやみんなも視野を広げて思考を深めて楽しもうや……!!

※自分の趣味にむりやり人を巻き込むのはよくありません

人間の作ったシステムは道を逸れることに弱いですが、
生命を始めとする自然界のシステムは
その辺を受け入れる懐の深さや柔軟性もかなりあってすごいですね。

いや、元々の“決まった道”があまりにも広い、すべてを内包している、とも言えるのかな…… 実は例外には弱いのかな…………。
自然界における例外って何だろう……
思いつかない。存在するのかな。
存在したとして、それは人間が認識できるものなのだろうか……

自己修復機能を持っているっていうのも強い。
「人間は技術の進歩すごいのに自己修復機能は実現されてないよね」
って言われた
のを思い出します……

(こういう記事なのでスピリチュアル要素出さずに語り切りたかったのですが、
ここでまさかの出番…… リンク先、苦手な方はすみませぬ
靈(宇宙人)の意見を載せてるってだけで、内容はゴリゴリの理系話ですが)

問いがあるとですね、出てきた答えとその正しさに注目・執着しちゃいがちなんですが
本当にすごいのはほとんどの場合、答えよりも問いなのだと思っています。

そして、答えについても、本当に重要なのはその内容ではなく
その前提であると。

っ あーーーーーー
いい問いでした!!

そして良いツッコミ(?)でした!!!
(※「生命システム」って単語のこと)

ぬお~~~~~
たのしかった!

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