私たち人間は、生きていくうえで様々な出来事に遭遇します。
その中で、
思い通りになり、良い氣持ちになれる出来事を“幸運”と呼び、
思い通りにいかず、嫌な氣持ちになる出来事を“不運”と呼びます。
では、すべてのことが思い通りに行ったらいいのかというと、そんなことはありえません。
人間が、この世界を生きながら自覚できる意識の範囲はごく狭いものです。
その外には、かならず、
「予想外のことと出会ってみたい、未知の世界を見てみたい」
という思いが含まれているはずなのです。
なぜなら、私たちがこの世に生まれてくる前にいた魂の世界では
予想外にも未知にも出会えないに等しいからです。
周りすべてが自分と同質のもの、よく知ったものでできていて、
そうでないものは認識できない世界。
思ったことはすぐに叶えられる世界。
何もかもが思い通りにはいかない、
そんな現世を生きている私たちから見ると羨ましくも思えますが、
これは「知らないものとは出会えない世界」でもあります。
例えば漫画なら、
読んだことのある(ような)漫画しか読めない。
それも「こういう傾向の漫画が好き」よりももっと狭い範囲。
自分で描いた漫画と違いが分からない、そのくらい同じようなものしか読めない。
思い描くのと同時に作成が終わるという素晴らしさがある一方で、
“自分には思いつきもしないようなもの”に触れられる機会は、永遠と思える時間を過ごしてもまず訪れません。
自分の発想を超える他者の芸術に触れられない。
このことがいかに物足りないか、創作をしたことのある人なら実感を持てるのではないかと思います。
いや、ない人の方が分かりやすいかもしれない。
創作をしない人は、そもそも作品に触れるという土俵から乗れないかもしれないので。
「思い通りになる」というのは、
そんな味氣なさももたらします。
そういう世界から、
異質なもの同士でも物質を通して関わり合うことができる世界にやってくるのだから、
程度の差はあるにしろ
「自分では思いもよらない何かと出会いたい」という目的は絶対にあるはずなのです。
※とはいえ、5%の異質を期待して来たのに
98%の異質へさらされることになってハードが過ぎる……!
となりやすい厳しい現状があるので、疲れたら無理はしないでほしいです。
大きな異質、それも不快をもたらす異質へと浸りつづけることは負荷が大きいです。
それでもがんばろうとしちゃうし、
がんばりきっちゃう山羊勢ではあるんだろうけど……