最近は目覚めているのがしんどくて
夢を見ているときがいちばんたのしいんだけど、
昨日見た夢では、自分にがっかりしてた。
オフィスのような部屋にキーボード(楽器)とオルガンがあって、演奏したいと思った。
だけどキーボードは常に誰かが使っていて演奏できず、
オルガンは音が小さすぎてほとんど聞こえないからつまらない。
(ちなみにFF4ゴルベーザのテーマを演奏した。わたしにとってのオルガン鉄板曲w)
仕方がないので、部屋を出て廊下をうろついてみることにした。
そしたらすぐそばに音楽室があって、
音楽室というのはどうせ使われてるか鍵かかってるかで自分には使えないもんだ……とがっかりしながら一応ドアノブに手をかけてみたら開いた、開いたよ!!
ピアノもある!!
誰も使ってない!!
早速遊ぼうとワクワクしながら飛び込んだら、赤ん坊も含めた幼い子供をわらわらと連れた男性がそこにいた。
……ぴんときた。
『もしかして、泣いてもうるさくないようここにいるんですか?』
音楽室だから防音設備だよなあ、幼い子をこれだけ連れていては行き先もあるまい、と思いながら声をかけた。
「そうです」
やっぱり。
『であれば、ピアノとか、弾かない方がいいですよね』
「そうですね」
がっかりした。
この人たちがいなければなあと思った。
そしたら、そもそも入れないんだろうけど……
この人たちが使うために、鍵を開けてあるのだろうからなあ。
起きてから、もっとがっかりした。
なんで私は、夢の中でまで相手の事を察しようとしたり、気を遣って我慢してるんだろう。
弾きたかったら構わず弾けばよかったんだ。
夢の中なんだから。
……というのは当の夢の中では自覚してなかったけど、くやしくて思わずにおれなかった。
目が覚めてからでは演奏できるピアノが手の届く場所に置いてないし、あったとしても弾きたいという気持ちが沸かない。
弾きたいと思って、弾ける環境もあったのに、どうしてそうしなかったのか。
なにが『弾かない方がいいですよね』だよ。
最初っから引いてんじゃないよ。
せめて『弾きたいのですが』って
意思表示くらいできないの?
こんな遠回しな言い方で「本当は弾きたいけど我慢してくれたんだな」って察してくれる人ばかりじゃない。
望みがあるのに、我慢して、でもその我慢は人には認識されなくて、
いつも我慢していても、そんな忍耐は自分以外にはそもそも存在しないもので、
いざどうしてもお願いしたいこととか、我慢しきれないことが出てきて意思表示したら「わがまま言うな」って封殺されて、
「自分はわがままなのか」「もっと我慢しなければいけないのか」「でももう我慢できない」「それでも我慢しないといけないのか?」「そこには私にとっての意義も喜びも見出だせないのに??」「“誰か”のために自分を殺すのが正解なのか?」「その“誰か”にとって、きっと私は大切でも重要でもないのに?そしてそれは私から見ても同じなのに??」「お互いそこまで大切でもない関係性の中で、私が自分を捨てることが正解なのだとしたら、それって何???」ってなっていって……
ほとほと自分が嫌になった。
それでも、夢の中はやっぱり、
起きているときよりも楽しかったなあ。
未来にも過去にもほとんどとらわれず、生活のことも肉体の維持も気にしないで、そのときやりたいこと、考えたいことに集中できるからラクだーーー
けどこの調子だといずれ
夢の中でも考えすぎの癖を
こじらせてしまう気がしなくもないw
現実に帰ってきてからこうして書き出していると、『極端な考え方してんなあ』と我ながら思うw
たかがこれだけのことでww
……だけど、「たかがこれだけのこと」だから大事だとも言える…………
あと、客観的にはわがままだとも思う……
どんなに抑え込もうとしても、ワケの分からない我慢や感情が多すぎて大きすぎて重すぎて抑えきれなくて
はみ出した分だけでも人の何倍もわがままだと思う
近年は「抑えずに解放したい」という想いがあるから、どんどん制御できなくなってるし……
それこそ「たかがこれだけのこと」のひとつひとつにさ…………
そういった思いの中で、自分ばかり苦労しているような感覚になることもあるけど、実際にはいっぱい助けてもらってるし……
こうして悩んでいられる (精神活動に専念できる) のも、それができる環境を用意してくれてる人たちがいるからであってな……個人でも組織でも社会でも。
自分が我慢するのいやだから、
人にもそんな想いさせたくないんだけど……
それは相手のためでもあるし、自分のためでもある
苦痛の伴う我慢はいずれお互いを苦しめることになるから
それは我慢する方はもちろん、させてる方もそう
他者に我慢を強いるって、ラクをしているようで実はめちゃくちゃリスク高い行動だと思ってるよ
だから「私は我慢しません、あなたも我慢しないでね」が理想で
衝突することが起こったらその都度新しい道をみつけて調整していくのが理想なんだけど
実際には力及ばないことばかりで
人が苦しんでいる可能性を見つけても無視という選択肢を選ぶことも少なくないし
そもそも気がつかないってことも気づいてないからこそたくさんあるはずで……
だけどそんな、すべてを察してすくいあげるなんてできるわけないし……
かといって、できるわけないという言葉で諦めていいとも割り切れない……
だけど諦めない気持ちが過ぎると自分が助けにならないことに気がつくたび苦しむから気づかないことが増えるっぽい……無意識がそう調整していくっぽい
それでももっと気づけるようになりたいし気づいたことは解決していきたい、でも、それができない私自身の弱さや至らなさも守る対象には入れたくて……
はぁ……
天才はつらい…………
唐突にごめんwww
散々深刻に悩んどいてどうかと思うけど
天才という言葉が嬉しい私は
自称天才を自称したら元気になるんじゃね?とおもって
ため息のあとに何気なくつけてみたら
その通りすぎていま笑いが止まらなくなってるwwwww
たんじゅんwwwwwwあほうwwwwwww
みんなやればいいwwwwwたのしいからwww
ちなみに音楽室の男性には、
『(子供) 何人いるんですか?』も聞いてみた。
3人まで数えて面倒になったw
『(ご自身の) お子さんですか』については
「そうです」らしいw
人数は「10人です」だそうで
思わず『チームができる……』とつぶやいてしまったw
すごい!! (夢だけど)