おじいちゃんとの思い出

祖母とは仲良くしていたエピソードがいくつもあるのですが、
祖父の記憶ってあまりありません。父方、母方共に。

ただ、わたしはどちらの祖父も大好きです。
ほとんど言葉を交わしたこともないんだけど、うん、大好きだ。

祖父は二人とも、とても厳しい方だったそうなので、
付き合いが浅くて嫌な面を見ずに済んだというのもあるのかもしれません。
わたしが祖父と出会う頃には年齢上丸くなってもいたでしょうし、
孫という立場上甘やかされていたのもありますし。

二人とも、わたしが二十歳を過ぎる頃に大往生で他界しました。


母方の祖父は、顔が広く多くの人を助けたとの事で、
老衰一直線の中、延命装置?をつけるだかの処置を施されました。
それにより、半年弱ほど寿命を先送りしました。

周りにも、祖父にも失礼かもしれませんが、個人的には「残酷な事をする」と思いました。

食事も満足に取れず、記憶は曖昧になり、体の回復は見込めない状態で
“生きるために生きる”状態を延ばされる。
これが、もし我が身に降りかかったらと思うとおぞましくて。
もう天命を全うしたのだから、自然に死なせてほしいと自分だったら思う。
わたしの使っているベッドを病室を、待機の患者さんに譲ってほしい (待ちがすごく多い状況でした)、助からない自分にこれ以上、貴重な人手を煩わせないで欲しいと心から思い、嫌悪感でいっぱいでした。

祖父自身が、どういう考えだったのかは分かりません。
ただ、母に関しては、「祖父(父)に死なれるのが嫌だ」という思いだったようです。
きっと、多くの人がそう思ってくれたから、延命措置をされたのでしょう。
お葬式に「残された者のために行われる」という目的があるように、
祖父は、自分の意思よりも周りの意思によって生きる道を歩むことになったのだと、感じました。

「祖父に少しでも長く生きて欲しい」と思わないわたしは冷たいのかな。


父方の祖父は、一緒に暮らしていたながら、亡くなった時の様子をわたしは知りません。
亡くなる半年ぐらい前まで、毎朝ウォーキングをしていたんじゃなかったかな……
そこから半年でみるみる衰弱していったそうですが、その生々しさを知らずに済んだことが、果たして良かったのか悪かったのか。

祖父が亡くなって数年後、母から

「じいちゃんはね、あんたの自転車を盗まれてしまった事を本当に悔いていたよ。
よく借りてたんだけど、あるとき、家の前にちょっと置いといたらなくなっちゃったんだよね。
本当にちょっと。ほんの3分くらい。忘れ物を取りに戻って、家に入って出たらもうなかった」

という話を聞かされ、びっくりしました。

出不精のわたしは職場と自宅の往復以外は特に外出せず、全く自転車を使わなかったので。
そもそも、自分の自転車がなくなっている事すらそれまで知りませんでした。
ある意味「不要品」なそれを、いつも使ってくれていただけでもとてもありがたいことです。
わたしは自転車使ってないから。なくて大丈夫だから。だからじいちゃんどうか後ろめたく思わないで。

日々、後悔を残さないよう心がけてはいるのですが、この伝えそびれだけは悔いてしまいます。


追記: 2017年3月(約5年後)

その後死生観がいろいろ変わりまして、

「延命措置を嘆くことはおかしくも冷たくもない」

「死者に伝えたい想いがあるのなら、それは既に伝わっている」

という想いに落ち着きました。

 

※この記事は、「インタビューズ (閉鎖済)」へ投稿した内容を書き直したものです。

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