「食べ物を残してはいけない」の本質を考える

「食べ物を残しちゃいけない」ってありますよね。

わたしにはそれが、素直に受け入れられません。

「食べるものを粗末にしてはいけない」という点には大賛成ですよ。
そこには異論なしです。

でもさ。現実問題さ。
食の細い人がいて、食を楽しめない人がいて、外食では量の調整にも限度があるし、
問答無用でやり遂げるべきとするのは案外難しいではないですか。

だから、食べ物の大切さや飢えの苦しみを共有することは必要だとしても、
強要したり絶対とするのはいくないよなーと思うわけです。

 

 

「世の中には食べられない人がたくさんいるから」について

「食べ物を残してはいけない」論は
「世の中には食べられない人がたくさんいるから」と続くのがお約束ですが、
コレを説得材料にするのもおかしいと思っています。

これもこれで、食べられない人を思いやることに異議を唱えたいわけではないんですよ。

ただあまりにも、論理性に欠けている氣がするのです……。

世の中に食べられない人がたくさんいるのなら、そのあとに続くのは
「だから残さず食べましょうね」ではなく
「食べきれないぶんは分けてあげましょうね」ではないでしょうか。

これもう少し規模を大きくして考えてみるとより分かりやすいのですが。

食うに困る=後進国、
食べ物がたくさんある=先進国 と
単純化して考えてみると、

「食べられない人がたくさんいるから、残さず食べましょうね」という言葉は
「後進国は食糧が足りていないから、先進国にある食糧は食べつくしましょうね」という意味になります。
…………やっぱりおかしいよね?

もちろん、そんな嫌味に聞こえる意図からではなく、美しい想いから生まれた言葉なんだとは思います。

「恵まれていない人たちを思いやりましょうね、恵まれていることに感謝しましょうね」

っていう。

でもその思いやり絶対届かないですよね。
届いたら逆に「メシ独占しながら何言ってんの?」で恨みが返って来ますがな。

お金に置き換えて考えてみるともっと分かりやすいです。

「お金に困っている人がたくさんいるから、
(困っていないわたしたちは) 残さず使いましょうね」

おいそうじゃないだろ!!
暴動が起きますがな……!

お金配りしろとは言わないけどさ、こう、恵まれてる分余裕がある分を社会に世界に還元しようとか、ないんか……!!
ノブレスオブリージュ!!

(いや使われたお金は誰かの収入になるわけで
まったく世界に還元されないわけじゃないんだけどさ……!!)

美しいだけで相手をきちんと見ていない優しさなんて、残酷でしかないですよ。
可哀想って言われるだけじゃお腹は膨れないのですし。

(余談ですが、“食べられない人がたくさんいる”理由は
「世界に食糧が足りていないから」ではなく
「世界に食糧を買うお金が足りていないから」だそうです。やるせない)

食べ物を無駄にしないって、どういうことだろう?

そもそも、「目の前に出された食糧を食べきる」ことが本当に「食べ物を残さない (無駄にしない)」ことに繋がるのでしょうか?

各自が自分の食事を……たとえば給食を残さなければ、食べ物は無駄にならないのでしょうか?
クラス全体で、学校全体で配膳しきれなかった分についてはどう考えればよいのでしょう?

飲食店で、皆さん残さず食べてくれたとしても、お客さんの入りが少ないために残った食糧は?
飲食店ならまだ食糧の備蓄調整が効くかもしれませんが、スーパーやコンビニに並べられているお惣菜やお弁当は?

期限が切れて捨てられていった食料たちは、一体誰が食べるべきだったのでしょうか?

 

ちなみに、農林水産省によると

FAO(国際連合食糧農業機関)の報告書によると、世界では食料生産量の3分の1に当たる約13億トンの食料が毎年廃棄されています。

日本でも1年間に約612万トン(2017年度推計値)もの食料が捨てられており、これは東京ドーム5杯分とほぼ同じ量。日本人1人当たり、お茶碗1杯分のごはんの量が毎日捨てられている計算になります。

食品ロスの現状を知る:農林水産省

とのことです。(下線は編集で追加しました)

廃棄量の割合が「食料生産量の3分の1」へ及ぶとは驚きました……。

 

だったら、「日本人全員が、今食べている量よりお茶碗一杯分多く食べれば解決!」かというと、そういう話にはなりませんよね。

「供給は需要を上回っている必要があるため、廃棄がゼロになることはない」という理由もありますが、
無理に食べて片付けるのでは、廃棄の先がゴミ箱から胃へ変わったに過ぎないからです。

環境汚染しない・焼却炉の負担を増やさないという観点からは胃に捨てる方がいいのかもしれません。

しかし、過剰に食べることは身体へ負担をかけ、健康や寿命を損ねる結果へと繋がります。

人々の健康を促進することは、食事の重要な役割ですよね。
本末転倒の見本のようになってしまわないでしょうか。

 

困ったときは自然に学んでみる

残飯処理……。

自然界のしくみではどうなってるんですかね。
いくら野生生物でも、たとえば生き物の肉を骨から全て綺麗にはぎ取るのは難しいではないですか。

これを考えてみると、
たとえばライオンが残した肉はその後ハイエナなど他の動物が食べたり、虫が食べたりして、最後は微生物に食べられて (分解されて) いるのですよね。

そしてやがて植物の肥料となり、育った植物は草食動物に食べられて、また肉食動物に……

誰かが残し、捨てたものも、余すところなく他の誰かが食べて、次の命へと繋げられていきます。

どうやら、“残飯”“捨てる”という概念からないようですね。

食べなかった分を燃やして灰にし、埋め立て地へと廃棄する人間の食料は、
この生命の循環からはずしてしまったのですね。

まとめ

このへんを踏まえて、わたしの中では下記の結論にまとまりました。

「食べ物を残してはいけない」が良しとされるのは、

「食料に関して、
“無駄にしない意識”と
“全てを人間だけで処理する前提”のもと、

 人間だけで囲い込み
本来巡るはずだった生命の循環から外したため」である。

また、食糧を無駄にしないことが美徳ならば、やるべき対応は
「(個人が) 食べ物を残さない」よりも
「(社会全体で) 大量廃棄するほどに余る食料を
 一部の人間が独占している状態を見直す」に定めるのが望ましい。

しかしこの対応を遂行するにあたって、個人としてできることはないに等しい。
そのため、お涙頂戴で問題の本質を見ないフリしながら善意を演出できそうな
「食べたくても食べられない人がいる」という言葉がなんか有用な氣がしちゃって、多用されているっぽい。

(皮肉にしかならないwww)

先進国で暮らしているというだけで、「食べ物を粗末にしない」を真に実践するのは難しそうですね。
連帯責任の考え方をしたらですけども。

誰が悪いわけではないんだけど、みんながこの状況の流れに乗り、後押ししてしまっている という。
意識的にではなくても。

まあ、解決できない問題をそんなふーに
ごちゃごちゃ考えてると頭痛くなってきますからね、
結局「今自分ができることをやる」しかないんですよォ!

というわけで、
目の前の食事をおいしく残さずいただく
でも無理はしない! 大事ですね!!

今日もごはんがおいしくてしあわせですよ!!

食べきれなかった分は、後で食べるぅ!

余談

食を楽しめない人の話

長くなったので別記事にしました。

食を楽しめない人の話
美味しい食事は生きる楽しみだと言いますが、この漫画を読むと『毎日訪れる拷問になる方もいるのだなあ』という感想になります。 私は食べることが苦手です。食べ物に興味がなく、何を食べてもだいたい同じだし量も食べられません。 おそらく、消化器系だけ...

 

「残さず食べましょう」ほかの理由もあるかな

「作ってくれた人の労力に報いる」
という観点もありますね。

残さず食べるに越したことはないですが、
しかし食べきれないのを食べきるのは
やっぱりつらいわけで……うーん

それから、戦時中などで物資の足りない状況であれば、
「明日は食べられるか分からないから」という理由もあったと思われます。

が、現代日本は前述した通り、食料をどんどん捨てているくらいなので……
この要素は入れませんでした。

……とか思ってたらさ…………
日本の貧困層って今2200万人、人口の15%くらいいるんだって。
約6人に1人の割合。そんなに……!?

この話も長くなった&脱線の嵐になったので別記事に分けました。

 

最後はちゃんと食と循環の話へ戻るよ。
我ながら大好きなお話だよ。

お残しを自然の循環へと還す

この記事の初稿を書いてから数年後、
自然の中で暮らす機会に恵まれました。
家庭菜園もあって、生ゴミはそこへ捨てる、という生活習慣でした!

(飼っている犬(食いしん坊) へあげることもありました 何でも喜んで食べてた)

そうすると、捨てられた野菜クズに含まれていた種が新しく芽吹き、元氣に育ったりするわけです。
捨てられた他の生ゴミを養分にしているのか、
手を入れてる作物よりも元氣だったりするのですw
完全無農薬で!


この様子を見ていると、残すことに、罪悪感を持たなくて済みました。

もちろん、残さないに越したことはないんですけど、
なんというか、別の命に繋がっていく喜びが先に立つというか……

思考の中では既に同じ結論へたどり着いていましたが、
実際にそれを、日常の中で、時間と空間を伴いながら目の当たりにしていくのは
とても素晴らしい体験で……

でも、現代社会は都会暮らし (人間を密集させ、“無駄”を省いた暮らし) が良いとされていますから、
大部分の人はこの体験をできる環境と共に生きてはいけないですよね。

人間の暮らしは、命からとても切り離されているなあと思うのです……

人間だって、命なのにね。

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