あなたはいいよね、(わたしと違って) できることがたくさんあって

そうだねえ。
確かに、できることがいろいろあるし
できて楽しいと感じてもいる。

 

けれど、
できる範囲が広がるほど
できない範囲はもっと広くなるんだよ。

できるようになればなるほどその先が見えて、
自分がいかにできないかということも痛感するから。

 

あなたから見たら、一流のひともわたしも「できる人」で括れるかもしれない。
だけどわたしからすると、一流と自分との間に
測ることすら敵わない距離があるって分かってしまうんだよ。
とてもじゃないけど、同じ括りなんてできない。
追いかけようにも、進む道も見えない。

だったらいっそ、できないくらいのほうが、
「自分にはできないからいいやと諦められる」…… というより、
「自分には関係のない世界だから氣にならない」と、
他人事として眺められて
かえってラクかもしれないんだよ。

同じ括りの「できる人」のはずなのに、
わたしの主観ではわたしも「できない人」であって、
「あの人はできていいよね」という目線で眺める立場の方が共感できてしまうんだよ。

 

ふうん、なんだ、(わたしと) おんなじなんだね。

 

そうだよ。

 

それに、
人から見て目立つことをできる一方で、
目立たないけどほとんどの人が当たり前にこなしていることができなくて困ることもあるんだよ。

「すごいことができるあなたなんだから、
当たり前のことはできて当たり前でしょ」

みたいな扱いがしんどいこともあるしさ。

できない人が羨ましいと思うことすらあるんだよ。
あの人は「できない」という理由でわたしができることを求められないのに、
わたしは「できるのが当たり前」という理由でわたしができないことを求められるだなんて
なんだかずるいなあ、って。

 

まあでも、他の人にできないことをできる分
得もしているはずだから、どっちがいいとかはきっとないんだけどね。
できない人の立場は、それはそれで大変さがあるしさ。

それにわたし自身、『あなたにはできて当たり前でしょ』で接してしまう、その前提を疑えないでいることはあるから、きっと自業自得なんだね。

 

ふうん。
大変なんだね。
よくわかんないや。

 

まあ、そうだよね……

 

いろいろできるのはやっぱ楽しいから、
氣になることに向かって、いまできることから、広げていくといいよ。

あなたも自分じゃ分からないだけで、
できることはいろいろあるんだと思うしさ。

さっき言ったみたいな、
できる人やできない人と比べる苦しさも体験するかもしれないけど、
自分を上げながら本氣で打ち込んでいれば
そのうち氣にならなくなるから。

 

はぁい

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