信じるに値するものなどない、信じたいものを信じるだけ

ぼんやり考えごとをしていると
様々な情報や結論が頭を駆け巡っていくけど

全ては
「信用に値する事など何もない」
に集約されていく……

これは、
「情報は信用に値しない」とか
「人間は信用に値しない」とか
「社会は信用に値しない」とか

そういうことじゃなくて

「情報は信用に値しない
という結論は信用に値しない

「人間は信用に値しない
という結論は信用に値しない

「社会は信用に値しない
という結論は信用に値しない

みたいな

 

だからってもちろん信用に値するわけでもない

信用に値するものなど何もない……

誰がどんなに調べようと、
どんなに大勢が信じていようとも、

それは信用を保証する担保にはならない
そう言っている人間がいるだけに過ぎない

 

そんなことに氣付いてしまったら、
もう何も信じられないんだけど……

何も信じずに人生を進むのは、さすがに、あまりにも、心もとなさすぎないか…………

 

だからって信じられるわけでもなく

信念の宙ぶらりん

 

……でも、そこまでいくと、
「信じる」ということから解放される

解放されるというか、信じるものがなくなってしまうのだからそうならざるをえない

 

目の前の出来事はただただ出来事であり、
そこに意味なんてものはないし

自分の信念も、正義も、善意も、
全てはなんの意味も意義も成さなくなる

やってもいいし、やらなくてもいい
すべてはただただ、そこにある
そのようにある
ただ、それだけ

 

良かれと信じて力を尽くしてきたことが
なんの意味もないと考えるのはつらい

人の人生にはやっぱり、信じられるものが、心の拠り所にできるものが必要だ

だからって信じるに値するものはやっぱりない

 

だからその先には、

「何を信じたいか」
「何をしたいか」

しか残ってない

 

「何が信用に値するか」じゃない、
そんな保証がなくても信じたいもの

「意義を信じて力を尽くす」んじゃない、
意義がなくても純粋さから来るやらずにおれないこと

 

保証のない世界
足元のおぼつかない、不安に呑まれそうな世界

 

でも、保証の有無に関係なく選んだものこそ、自分の人生に必要なものであるはずだ

本当は誰も、レールの上を走りたいわけじゃない
歩きやすいように整備されて誘導されているからなんとなく乗ってしまうだけだ
確かにラクではある

しかし
レールの有無に関係なく「行きたい」と思えた方向こそが、
その人の「生きたい」人生であるはずだ

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