「理解してほしい」についても考えた。
今年は「理解してほしい」の苦しみの年でもあったな、と……
5月、霊媒師の先輩にも、11月の大家さんにも、
相手に求めるべきではない理解を求めて、
ということをしてるんだと自覚できず、
苦しんでいたよな……相手を巻き込みながら。
逆に、絶交になった友人には
理解を示しているつもりでまったく示せてなかったなあと。
向こうはそれこそ一生懸命、理解を得ようとがんばってくれてたのになあ。
距離感おかしいんだろうね……
相手に求めすぎというか。
自分じゃ分かってないけど…………
情報的に知ってはいる。
HSPでエンパスで
月△海王星(オーブ2度)でドラゴンヘッド牡牛座 (占星術) なんだから
こんなんで他人との距離感が上手にとれるワケない
ないんじゃ
という“情報”ならある。
情報ならあるけど……
感覚的には、ねえ。
仮に距離取りと境界線引きが上手になっても、
なっただけ一段上の課題が来るだろうしさ……
だってドラゴンヘッド入ってるし
今回、
「自分が正しくなくても、引け目があっても、それでも自分の感覚に従い貫き通す」
が課題に浮かび上がってきてさ、ゲンニョリしてるんだけど……
なんこれ……難しくね……
めっちゃ怖いし自信ない…………
だってさ自分が間違ってて、相手が正しくても、
それでも自分を貫くってんだよ??
難易度たかすぎない???
自分の感覚がひどく間違ってたら、どうすんのホントに…………
『ドラゴンヘッド牡牛座が持つ境界線の課題もそれなりに解消できてきたんじゃないかな〜♪』なんて調子に乗ってましたけど全然でしたすいませんでしたぁ痛いのやめてぇ謝るので許してください謝ることで免除されるわけではないそれが運命容赦ねぇ
ウッ (;▽;)
今年は「理解してほしい」の苦しみの年であったほか、
かつて誰かに軽蔑を向けた行動を
自分がガンガン実践した年でもあったな……!
ホント、嘘どんだけついたよ!!
もうやだと思いながら新たな嘘を重ねて、
破った約束もいくつもあったし、
自分が嫌すぎる。
もう何も宣言なんてしねーぞコンチクショーーーーー
こんちくしょー…………
老害マインドも発揮したしさ、
きちんとしたいのにだらしなさ大爆発だしさ、
自力で生きていけなくなって人に依存しっぱなしでさ……
悲劇のヒロインマインドも発揮しまくったな……文句ばっか。
どれもこれも、
『そういうの嫌だよね~』って自分で言ったり思ったりしてたやつだよ。
覚えてるよ…………
2年くらい前、霊媒師の先輩は
今の私へしてくれているのと同じように
弱ってる人をたすけて、少なくない金銭的援助もして、
でもその人は、先輩に厳しく当たって離れていったということがあってだね……
ちなみに先輩
金銭的援助をホイホイしてるみたいになってるけど
決して裕福なひとじゃないよ
働いてた頃の私の方がよっぽど裕福だったと言える
その時わたし
『それはさすがにありえない!ひどすぎるでしょ!!』って
恩知らず!的な反応したんですよ発言したんですよ
覚えてるよ……
まさか2年後に、自分が同じことやらかすとは思ってなかったよ!!!!! (;∀;)
自分のはつげんが ささる
自分で言ったことだからさ……
呪いやべぇ…………
もぉ…………はぁ…………
そういった、覚えてるやつも刺さるけど
『覚えてないだけで絶対やらかしてる……』っていう可能性も絶対是なわけでさ、
刺さる…… ささるぅ
しかも、いろいろ刺さってると、
「記憶は今と同じ気持ちのときのものを」法則に従って
刺さる記憶がぽんぽん浮かび上がってきたりするんですよ……
小学2年生のとき、友達の家に電話して出たお兄さんを友達と間違えて普通に喋ってしまったとか
幼稚園の頃に不注意で牛乳こぼしたとか
3歳ごろ、親が止めるのも聞かずラーメンのあとにアイスクリーム食べて食べ合わせが悪くて吐いて母に吐瀉物の片付けをさせてしまったとか
その他その他
人が聞いたら「そんなことで!?」ってなるくらいちょっとしたことだろうし、大したことないんだろうけど、
私にとっては、こういった細かい失敗談ってずっと心に刺さって苦しかった記憶なのね。
30歳くらいでようやく思い出さなくなったり思い出しても大丈夫になれたんだけど、それは時間が解決してくれたんじゃなくてメンタルケア覚えたから。
覚えてなかったら更に5年が経とうとしている今でも多分苦しんでるw
……で、こう、せっかく大丈夫になったものが、
大丈夫じゃなさすぎる状態のときに、また大丈夫じゃなくなるんですわぁ!
いたい……ごめんなさい……もうやめて…………
わたしが悪かったよ…………ごめんなさい……ごめんなさい……
うう……
精神状態が落ちると、
平常心だったらダメージにならないものまでダメージソースになる……
そのうえ、そういうことをたくさん思い出して雪だるま式に手に負えない……
ちくしょうもう自分のメンタル悪化するような譲歩とかしねぇからな!!!
人生で一番だいじなのはいつでもゴキゲンでいようとすることじゃバカヤローーー!!!!!
● そんな折、
「物乞いをする少女と老人の話」なんてのを見かけましてね……
URLなくしちゃったのですが。
「恵んでください」と言う少女と老人がいた場合、
支援を必要としているのはどちらも同じなのに、
少女のほうに同情が集中し、老人は支援を得にくい、という話でした。
老人が、ギャンブル依存の末に今の状態となった、という背景を知ればなおのことだ。っていう。
……私はこれ読んでもう、
老人への同情が止まらなくて。
『その人はどうしようもないけど、
そんな、どうしようもない生き方しかできなかったんだろう』
ということが、悲しくてたまらないのです。
傍から見れば、「努力すればよかった」「自業自得」な話だと思うんですが……
なんかもう、自分自身、努力できない状態に陥ってみて (いや怠けと区別つかないけど)、
「努力すればいい」は実のところ、努力をできる強者の理論なのでは?としか思えなくなってしまったのですよ。
人々からそういう目線を向けられることも容易に想像できてしまって、これも悲しくて。
なお「努力すればいい」もかつて自分で言ってた (少なくとも思ってはいた) 記憶が色濃いので
呪いやべぇwww なんですけどーーー!!!
もぉーーー!!! ヤダーーーーー!!!!! (;∀;)
まあね、とはいえ本当にこの人が目の前にいたとき、私は自分に余裕があっても助けないと思うんですけどね……
本当の意味で助けになれないし、
その人を信頼もできないからね。
継続的に頼られても困るし。
…………
「本当の意味で助けになれない」?
そういう人たちに対して、
「本当の意味で助けになる」って
どういうことなんだろう。
自立支援?
もしくは、自立しなくても暮らしていける環境を整備すること?
「自分の感覚を信じる」に付随して、
『もうこういう無理はやめよう』っていろいろ思いました。
●「合うものは自分で選ぶ」ことも徹底していった方がいいな……
って、ところから…………
自分の心へ響いてないのに
「信頼している (信頼したい) 人が勧めてくれたから」で受け入れたものって
苦しみが大きいw
私が何を見ても聞いても経験しても基本苦しむ人だからどーしょーもない、という要素もあるんだけどwww
自分で思いついたり、思いつかなくても「それ嬉しい!お願いしたい!!!」って素直に思えることは、
選んだ先で、苦しさがあってもそれを上回る喜びもあるから、いい思い出になるんね。
でも、勧められたとき、理性面の検討でどんなに良いことでも
『えぇー……気が進まないな……
でもまぁ……モメたくないし……
この人がいいって言うんだから、きっといいんだろう』って
モヤモヤ〜っと嫌寄りの気持ちなのをごまかして受け入れると、
その先で絶対なんかあるというか、かえってモメるというか、ロクな思い出にならないw
勉強にはなるんだけどさ……
うん…………
くるしんでるほうが べんきょうには なるんだけどさwwwww
ぼくもういいですそういうの…………
だから、つらい思いが気にならないくらい、
思い入れのある物と事と人だけで周りを囲みましょう、ってさ……
適正な距離も測りましょうね……。ガン詰めやめましょうね……。
信頼という名の油断NOですよ……。親しき中にも礼儀あり…………。
● ただ、私が何もかもを自由に選ぶことができた場合、
「何も選ばない」「誰とも関わらない」「どこにも動かない」という結論を出すので、
ちょっとそこ、どうしようかなとw
もう今更きちんと社会人だとか成長だとかは無理め100%なのでどうでもいいけど、
生命維持ができへんやん……
生命維持ね……興味ないんだよね……
苦痛の回避は重要だから、空腹感とかは嫌いだし、
心地よいことも好きだから、食事はとるんだけどさ…………
もし人体が食事なくても特に不快が起こらない構造になってたら
わたしは多分ご飯食べない人だと思う。
思うっていうか、私の元になった魂そんな感じだったわそういえば…………
まあ そんなですから
マズくなければいい >>>>>>>>»»»»»»» 手間をかけて美味しいもの になるよね……優先度。
毎食ごはんきちんと作ってるひとたちほんとすごいよ。
山を去り際に『家事ももうちょっとなんとかしたい』って言った記憶あるけど
やっぱわたしにゃ無理そうですわwww
また嘘を増やしてしまった…………
気が向いたときだけ食べればいいみたいな趣味の領域になんないかなーーー食事。
肉体もバーチャルでアバターとかがいい。
霊じゃんw
霊じゃん…………
まあ、食事ですらそうなんだから
何もしないことに関してはどうしようもなさそうなので様子見よ。
元気が充填されてきたら氣が変わるかもしれないしさ。
そんな日が来るのかは知らんけど。
● それから自分は
「いい人だから」
「身近な人だから」という理由で
相手の良いところだけを見ようとしたり
相手の欠点を自分の受け取り方の問題として引き受けすぎる傾向があるので、
これももうやめよう。
いい人は欠点を持ってないとか、
いい人なら必ず自分と合うはずだなんて、
そんなワケないじゃないですかーーー
● あと……あと
人との関わり、ほんとに興味ないよね?
もう、ますます希薄にしてってもよくね???
泣きながら過ごしてた時期
雪景色ももっと味わいたかったし雪遊びももっとしたかった
薪割りもせっかくできるようになり始めてたのに
ストーブへ火を入れるの楽しかった、火の様子を見ながら薪をくべるのたのしかった。
景色ももっと……川に、草に、木に…………
って思ったわけなんだけど、
人間関係のこと、1ミリも出てこないな???
出てこないんですよ。
もちろん、人との関わりで嬉しいこともあったし、
思い出もたくさんあるんだけど、
そういうのは私の中で
学びや発見、観察対象としては興味深く重要な記憶にはなるんだけど
もっとこう、単純に暖かくて幸せな想い出にはどうもならない (なりにくい) みたいなんだな……?
いやその場では心から楽しいんだけど。
「またやりたいか」と問われると……そういう望みは……ないなーーー
直接の人間関係は私には濃すぎるし(メール……どころか本とかの間接的な関わりで十分という人)
距離感と境界線引きの感覚がおかしいから
警戒してるはずがいつの間にか侵害されてしまう(してしまうさせてしまう)し
それでも「人との関わりが欲しいんじゃ〜!!」ってタイプだったらがんばる価値もあるけど
ここぞというときに1ミリも思い出さない程度には興味ないわけで
得られる喜びより苦しみのほうが大きすぎね……?
って……
なった…………