2016年、今年もお世話になりました (後半 – 12月まで)

お世話になりました と言うのもおこがましいほど更新は少ないですが……
ナツキです。 Yeah! もうすぐNew Year!!

2016年の前半 に引き続き、変化の多い半年を送りました。
といっても、そのほとんどは心境の変化なので、分かりやすい変化は会社を退職したくらいです。

恵まれた環境(の中でもさらに恵まれた立場)だったにもかかわらず、日に日に苦しくなっていくのが阻止できないので「ああ、私が生きてく世界ではないんだな」ということに諦めがつきました。その会社が、というより、会社勤めという生き方そのものが。

だからといって「じゃあ私が生きていく(生きていきたい)世界ってどんなの?」への答えはまだよく分かっていません。
今までのような、「(会社勤め向いてないけど生きるためなんだから)なんとかする!気合!!根性!!!」というがんばり方を卒業した先である、という事は確かなのですが。詳しい部分は私がまだ知らない何かのようです。知らないから認識できなくて。

まさか30超えてガチ自分探しに入るとは思ってなかったけど……まあ……仕方がないですね。今まで向き合って来なかった自分自身と向き合う準備がようやく整ったということなのでしょう。

 

「こういう生き方をしていきたいな」という展望に関しては、先が見えないながらもまだ意識できるのですが、自分で「えっ なんで!?」と思う心境の変化もたくさんあったのは意外でした。
今まで気に入ってた人・物・サービスなどに、なにか違和感を感じるようになってしまった、距離を取りたくなってしまったといいますか……

それで距離をとった相手達はすべて、元の距離に戻ろうとしたらとても歓迎してくれるでしょう。
とてもありがたい事なのですが、私自身は『もうそこにいられない、かつて大丈夫だったことが今では辛くてたまらない、以前は得られた居心地の良さを、もうそこで感じることはできない』という感覚を覚えています。

居られる場所がどんどん減っていく事への寂しさもありますが、それ以上に、「今までと比べ物にならないような幸せへ、向かうための準備なんだろうな」という予感が大きいので、へこんだりはせずに済んでいます。

 

それに、私の居場所がなくなっても、私には居場所があるという安心感も伴っています。
なんだこの一文。意味不明ですね。

たとえ、世界の全てが自分の居たくない場所に見えてしまっても、私に合う場所も人も物も、必ず存在する。まだ見つけていないだけ、という安心感があります。
どうやって見つけるのか、どうやって繋がるのかは分からないけど、あるかないかと問うたら“ある”。確実に“ある”のです。

それに何より、私にとって、私自身が居場所です。
私自身が、私にとって一番の居場所であると同時に、この居場所と離れることは一瞬たりともありません。

 

今、未来が見えないのは当たり前。
「未来は不確定」という意味ではなくて、
『今想像の及ばない未来で生きていく以上、そこで生きるとどうなるかを私は知らない。知らないものを想像できないのは当たり前』という意味です。


……と、いうのが、2016年後半ダイジェストでした。

振り返ってみると、何もしてない中でいろいろあったんだなーーーーーと感慨深いです。他人にも関わることばかりで具体的に書けないのがもどかしい!

そう!他人に関わる!!

他人と関わらないのが基本姿勢、家に引きこもって一歩も出ないのがデフォルト、ごく親しい人を除いた対人メインのお出かけは3年に1度くらい(以下かもしれない)この私が!
今年は何度、出かけただろう……! 来年も早速1件、『あーこれ挑戦してみようかな』が出てきてます。これが……私……!?

 

そんな風に、私の2016年は多くの大小さまざまな終わりと、多くの小さな始まりに彩られた1年でありました。

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