ご質問
仏教における五戒の中であなたが一番守れているものと一番破っているものはそれぞれどれだと思いますか?
①不殺生戒(虫なども含めて生き物を殺さない)
②不偸盗戒(他人の物を盗まない)
③不邪淫戒(配偶者や恋人以外と性行為をしない)
④不飲酒戒(酒を飲まない)
⑤不妄語戒(嘘をつかない)※この質問は保持期間を過ぎているため、peingでは閲覧できません。
※ちなみに読みはそれぞれ
- 不殺生戒(ふせっしょうかい)
- 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
- 不邪淫戒(ふじゃいんかい)
- 不飲酒戒(ふおんじゅかい)
- 不妄語戒(ふもうごかい)
だそうですぞ
お返事
わーお
そういう問いかけ大好きなんです!
投げかけてくれてありがとう……!!
不邪淫戒(ふじゃいんかい)
一番守れてるのは……
③不邪淫戒 ですかね……
配偶者&恋人とも致していないレベルで守っておりますw (いないのでww)
一番破っているのは……うーんどれだろう
不飲酒戒(ふおんじゅかい)
④不飲酒戒 も一見守っている側なんですが……
お酒一滴も飲まないので。
ただ、これ本質的にはお酒でなく
現実の刺激から逃げてふわふわと夢の世界へ溺れることを指してるんじゃないかなあ、という気がするので
だとすると、寝逃げスマホ逃げに三昧しているわたしはむしろ戒律破ってる側なんですよねえ。
不妄語戒(ふもうごかい)
⑤不妄語戒……
日々、言葉に嘘を混ぜこまないようにしてはいるのですが、
それでも、「正確ではない(嘘に近い)が、場を流すための言葉」を発することはあります。
「嘘も方便」を使うべき場面でわたしが正直を通したために、他の人が代わりに嘘をついて切り抜けてくれたこともあります。
このとき、戒律を破ったのはその人だと言えるのでしょうか。
明確にわたしがつかせた嘘に咎があるとしたら、それはわたしが負うべきものではないでしょうか。
また、自暴自棄になっていて何もかもを投げ出しておきながら、それでも立ち直りに向かう言動を取ることがあります。
そんなとき、『この言動は嘘なのではないか?』と思ったりします。
逆に、自暴自棄になっていることが嘘かもしれないと思うこともあります。
本当はそんな生き方をしたいわけではないのにと。
葛藤のもと、何が自分にとって正直な言葉なのか分からなくなっている以上、不妄語戒を自覚なく破っているかもしれません。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
②不偸盗戒 についても、
意識的には破っていないつもりなのですが……
以前、友達の家で暮らしていたことがあり、様々な物資も分けてもらっていました。
友達がそれでいいと心から言ってくれていたあいだについてはともかく、
その後わたし自身の振る舞いが元で厳しい目を向けられるようになって、わたしが物資等を消費することを疎ましく思っているらしき気配を感じはじめたとき、
友達から、物も労力も盗んでいるような気持ちになりました。
盗むって、何なのでしょうか。
わたしは今、自力で収入を得ることができず、福祉のお金で暮らしています。
社会への還元らしい還元はしていませんから、これも、世の中から一方的に盗み、奪っていることになるのではないだろうかと、思うことがあります。
(福祉で生きている他の人達がそうだと思うことはありませんが よほど悪質でなければ……)
でも、じゃあ、自力で収入を得られていたころの生き方なら、正当だったと言えたのでしょうか。
何の役にも立っていなかったということはなかったはずですが、とはいえ、社会に、世界に、貢献らしい貢献をしたとも、どうしても思えないのです。
そして、そんな“無駄な”生産活動と消費をおこなうことで、人間社会としては良くても、地球環境は傷ついていきます。
これは、地球から、「盗んでいる」のに、当たらないのでしょうか。
盗むって、何なのでしょうか。
不殺生戒(ふせっしょうかい)
①不殺生戒
これもここまでの考え方と同じなんですけど、
意識的にはやってるつもりないんですけど、
「つまりやっていないってこと?」と明言を求められたら、答えに詰まります。
嘘の話と同じなんですけど、
現代の生活で肉を食べるとき、ほとんどの人は自分で“それ”を殺してはいないじゃないですか。
でも、じゃあ、誰が殺したことになるんでしょうか?
殺すことに罪があるとしたら、誰がそれを負うのでしょうか?
業者さん??
儲けるため積極的に従事している人もいるでしょうが、殺すのは辛いけれど生活のために仕方なく従事している人だっているはずです。
食肉になった元々の生命が殺されたのは、こういう人たちのせいなのでしょうか???
わたしは肉は食べませんが、
牛乳や卵の加工品は結構いただきます。
これらは一見、動物たちを直接は傷つけない生産物ですが
実態は生産過程に殺すことが組み込まれていたりするので、「わたしの需要によって動物たちを殺している」と思いながら摂取しています。
それもやめることにして、ヴィーガンになれば、殺生とは無縁でいられるでしょうか。
きっと難しいです。
植物だけを食べていても
その過程では虫取りのために農薬の使用等が行われていることがほとんどですし、
それすらなくても、食べ物以外の分野で、
人間の活動や道具のために様々な生き物の命を奪う結果の出ることが、どうしてもあるからです。
嘘をつかなくていいのも、
盗まなくていいのも、
そして殺さなくていいのも
それをしなくても暮らしていけるから、
誰かが代わりにやってくれているから、
辛い仕事を実行することで得られる利益を
実行しなくても享受できる立場に
いることができるから、
そんな側面があるのではないかと、意識せずにはいられません。
だから、「やっていない」と述べたとき、
そこで本当に誇っているのは自身の潔白さなどではなく、恵まれた環境にいることで得られる特権の方になってしまうのではないだろうか、
そんなふうにも思ったりします。
文明を享受しているだけで、殺生せずに暮らしていくことは不可能ではないでしょうか。
そして、文明の力を借りずに暮らしていくことも、実質不可能です。
お釈迦様の時代には人類の生産力が低くて、物流も未熟で、生きるための活動がほとんど近所に閉じていたので
何を殺すかを始めとして、自分(たち)の言動がその後何を起こすのか見えやすかったし、見えなくても大きな影響にまでは至らなくて済みました。
でも、今の時代だと、人ひとりに対して使われる力が、そして人ひとりの使える力がとても大きくなっています。
ひとりのためだけに用意されている力ではありませんが、ひとりひとりが文字通り“身に余る”膨大な力を行使することができます。
(一番分かりやすい例はSNSの炎上ですね。有名でもなんでもない個人のふとこぼしたボヤキやいたずらが、近所にとどまらない世間へ影響を与えていくのはあまりにも大きすぎる力だと感じます)
規模の大きい話まで到達させてしまいましたが、
身近な日常においても一番分かりやすいということで、自分が一番破っている戒律はこの不殺生戒になるかな、と思います。
虫はなるべく逃していますが、殺して対処することもあるので。
楽屋裏コメント
●字数と文章の流れ的に盛り込めなかったけど
仏教じゃないけど
不邪淫戒と同等のものとして
「汝、姦淫するなかれ」ってのもあるよね
「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、すでに心の中でその女を犯したのである」ていう
この点をふまえても不邪淫戒は破ってないはず……
はず
●という内容を書くために検索したら
『「汝、姦淫するなかれ
(Thou shalt not commit adultery)」
という節の not が抜け、
「汝、姦淫すべし
(Thou shalt commit adultery)」
と誤植してしまった』
→ 結果
「姦淫聖書」って呼ばれるように
なっちゃった!
そんな聖書があるという
とんでもねー出版エピソートが出てきて
●やめwww
やめろ笑かすんじゃねぇwwwww
こちとら真面目な話をしとるんじゃいwwwww
●自分はあまり人にそういう興味湧かないからいいけど
ホイホイ湧いちゃう人は制御するの大変なんだろうな、と思う
●自分だって、湧かない欲望・弱い欲求を抑えるのにはなんの苦労もしないけど
不飲酒戒(?) を制御しろと言われたら
アッハイ無理です無理ですね
ってなりますもの