自殺遺書を書きたくなった (書いた)

不穏なタイトルですが行動はしないです

まあ、思いついてる時点であまりよろしくはないですけどね……ハァ。

 

近年はあまり、こういう想いに囚われなくなったのですが。
できるだけ機嫌が良い状態で過ごそうって心がけてるから。
「ダメダメだけど、まあいいじゃん~」っていう自己肯定。

でもこれは、“常識”のうえではあまり良いとされない考え方だと思います。
“きちんと”しないってことで、“問題や課題”の先送りと呼ぶこともできるものだし。

そして、その“常識”“問題や課題”と“きちんと”向き合う事を求められると
(そして私自身がそれに応えたいと思うと)

「駄目すぎる。改善できる気もしない。
私はここでは価値がない。
どうやって生きていったらいいのか分からない、死に逃げたい」

と、自己否定しか出てこなくなってしまい……

一気に「もぅマヂ無理。ぃきτぃけなぃ。。。」まで堕ちてしまうのです……

 

極端だな!!
間ゼロ距離かよ!!!
自分の弱さが嫌になるぜ!!!!

 

「私自身がそれに応えたいと思う」ことがあんまりないんですが……。

……ないんですが……仕事とか社会的な要求には、今んとこ……勝てない……

「そんなもんに影響される必要ない」ってなれたらよいし、なりたいのですが……。
常識……というか、資本主義経済のルールに捕まらずに(そこまで縛られずに) 生きていく方法が分からないし、試してみる勇気や気力体力も出ないし、
かといって常識を受け入れて対応することもできないしで、
「もぅマヂ無理(略)」って葛藤の渦に落ちていきます……

 

最近は身体的にも疲れきってて、
かなりの時間を死んだように寝てるし……

 

いっそ死んだことにしては???

と思って遺書を書くことにした
(意味がわからない)


まず最初に、私が現世を去ろうと思う理由を述べます。

「私が私のまま、負担なく、自由に思うように生きてゆくにはどうしたらいいのかが、あまりにも分からないから」

です。

人生の喜びを味わいながら生きていく道は、何かしらあるのでしょう。
でももう、探しては間違い、間違うたびに現れる課題の数々に疲れました。

誰かが用意してくれた“常識”に合わせ、“レール”に便乗して生かしてもらうことも、もう限界です。
そこに私の喜びはなく、そのような人生をやりすごすこともできず、
かといって、我慢を重ねながら寿命を待つことも、できそうにありません。

 

私は行動力に欠けています。
努力らしい努力も、ほとんどしたことがありません。
嫌なことがあれば、逃げ出します。

だから、道のりが長すぎると嘆くのは、滑稽かもしれません。

しかしもしかしたら、これらすべては奇跡的に正しい道で、
幸せなゴールはもしかしたら、もうすぐそこなのかもしれません。

 

でも、もうよいのです。
私に進めたのはここまででした。

たとえ次の一歩で望みが叶うのだとしても、
「あと一歩で望みが叶うかもしれない」と考えることに疲れました。

それに、その先でもまた
私には重すぎる課題が待っているのでしょう。

 

事実は違うかもしれません。
どちらでもよいです。
未来を信じることに疲れました。

 

今はもう、進んだ先の幸せを見たいと思うことができません。

それよりも、止まることによる幸せ、もう進まなくてよいのだという幸せに浸りたいです。
想像するだけで幸せです。

 

しかしその幸せは想像の中だけのものです。

明日を迎えれば、わたしはまた望まぬものたちに沿った生活を送ることになります。

仮に抜け出せても、一時的なものです。
ほかの生活を送る方法を知りませんので、また戻ってくることになるでしょう。
そんなことを何度か繰り返しました。今さら抜け出せる気がしません。

仮にその方法を知ったところでもう、わたしにそこへ向かえるだけの余力は残っていないでしょう。
今日もとても眠い。
明日が来ないと思うと少し力が出ます。その力でいまこの文章を書けています。
でももう、立ちあがるのは無理そうです。
いつも、ただ立ち上がり、歩くことが、重たくて重たくてたまらない。頭が働かず、記憶を留めることもできない。

 

私には、達成できたことがたくさんあったはずです。

自分の仕事を喜ばれた経験もたくさんありました。

これから達成していけることもたくさんありました。

 

このように断言するのはうぬぼれでもありますが、それでも、自信を持って言い切ります。

私が生きていたら、これから達成できたことはたくさんありました。

 

少なくとも、このサイトの記事はもっと増えたはずで、その中には少しくらい誰かのためになる内容もあったはずです。
考えていたこと、表現したかったことが、たくさんありました……

達成できたはずの可能性を全て捨てていくことになるのは惜しい気もしますが、
でも、ごめんなさい、
私は、生き延びて私の可能性と未来を紡げるだけの力を、持てませんでした。

……どうしてこうなってしまったんでしょうか。
やりたいことがたくさんありました。
叶えたい希望もたくさんありました。

課題なんてものはすべて私の思い込みで、自分で作り出したもの、自分でこじらせたものでしょう。

でも、私にはこういう生き方しかできませんでしたし、そして、ここまでしか進めませんでした。
ごめんなさい。
自分に対して、謝るしかできない。

 

申し訳もないのですが、残された人たちへのお詫びの気持ちは湧いてきません。
私の心には、誰も住んでいない。

ただ、人を励まし、自ら人生を終えることを止める活動をしている私が、このように人生を終えることは、心から申し訳なく思います。

 

いや、いいのかな。
もともと、生きづらさを抱えつつ、なんとかやってきたことのおすそ分けだったんだから。

私が初めて死にたいと明確に思ったのは13歳の時だったか。
自分の人生はそこから20年しか伸ばせなかったけど、ほかの人の人生は50年伸ばせたのかもしれないのだし。

今の気持ちはとても安らかです。

私の30年弱の人生の中で、
私を受け入れてくれた人々、動物たち、
そして大地への感謝とともに、
私はここを立ち去ります。

世界への恨みではなく、
感謝と共に逝けることを嬉しく思います。

それでも、やってみれば後悔はするんでしょうけどね。

では。


そして蘇ってきたのがこの私だァーーー!!!
(意味がわからない)

 

書いたらちょっとスッキリしたかな……
でも現実の問題はなんも解決してないんだよな……どうしたものかな……

 

まあ……うん
逝ったナツキよ……お疲れさまだぜ…………
すまないが持っていける重荷は持っていってくれよな…………

ちなみに、当サイトにはこんな記事もあるのです、一応。

死にたくなることはありますか?
どういった対処をしていますか?
死にたくなることはありますか?ある人は、そういう時どういった対処をしているか教えてください。 昔はすごくあったのだけれど自己メンテナンスできるようになってからは基本的になくなったんだけれどそれでも弱っているときにはたまに来ますだったんだけれ...

……10時間睡眠じゃ足りニャーしそんな時間も余裕も取れニャーーーよバーカバーカ!!! ばーーーか!! ( ;`ω;´) (苦情)(……助けてほしいからこその、苦情)

 

ってちょっとまってwww
こんな記事もあったwwww

未来を信じられなくなったとき、私が心の支えにしていること
あまりにも落ち込んでいる人がいて、とても氣がかりに思っていました。でも、私からその人にコンタクトをとれない状況があり、何も働きかけることはできませんでした。 『自分で立ち直ることができる人のはずだ』と、信じて見守ることにはしたのですが……。...

一ミリも思い出さんかったわ…………

ていうか、思い出しても支えにならんわ…………
もはや、特別落ち込む何事かがなくても
最近は常日頃に仕事で自分の無力さできなさを嘆きすぎてて「自分にも力があるんだ」ってことを信じられなくなってる……

「あくまでも、ここにおいては能力がない (だけど、個人としてはできることもたくさんある)」っていう前提は忘れないようにしていたつもりだったんだけど……

あかん……あかんね
1日何時間も自己卑下しっぱなしの暮らしをしてるとやっぱ染まっちゃうんだね
単純に疲れてるのもあるんだろうけど (そもそも自己卑下しっぱなしだから疲れるんだろうけど)

よくない……よくないなぁ。

タイトルとURLをコピーしました