ご質問
学校では特に問題なくいいやつキャラで、たまに目立ち、たまに空気になりみたいな生活です。恋愛もそこそこで、特に味なく生きてきました。
ですが、最近「怒り」という感情がなくなりました。少しも怒りが湧いて来なくなりました。自分は変なのでしょうか?※この質問は保持期間を過ぎているため、peingでは閲覧できません。
お返事
もしかしてなのですが……
「怒り」だけでなく、「喜び」も薄くなっているのではありませんか?
自然に湧き出る感情を無視したり、抑えたり、そもそも湧かないような日常を送っていると、感情(感動) はだんだんと薄れてきます。
「いいやつキャラで」「特に味なく生きてきました」とのことなので、そのまま心の味わいも薄まっていくわけです。
だけど、「そうしていたら、そうなる」ので、
「変」ということはないです。
そのままで良いならそのままで良いし、
味気なさすぎて物足りないと思っているなら、少し冒険が必要ですね。
とはいえ、感情の起伏というのは楽しいばかりではありませんから、平坦という平穏を選ぶのも悪いことではありません。
後悔のない人生の選択をしていけますように。
楽屋裏コメント
「感情の起伏というのは楽しいばかりではない」
ほんこれなの
自分に感情がなかったら、
心がなかったら
この世界を渡っていくのはどんなにラクだっただろうか、と、思うことがある
何も疑わず、葛藤なく、痛い思いをすることもなく
それでも……
それでも心ある方をどうしても選びたくなってしまうのは、
やっぱり、その方が、人生が面白いから
心のない人生なぞ、送りたいとは思えないからなのだ
この世を生き抜くだけなら感情なんて動かない方がいい
でもきっと、良い人生、充実した人生、楽しかった人生というのは、
この世を去ったときに持ってゆける思い出話の多さで決まるのだ
たとえそれが、辛く悲しい思い出ばかりだったとしても
何もないよりは、ずっと
まあ、バランスだけど
わたしは心に傾きすぎていて
現実人生うまく行っているとは言い難いので、
やっぱりそれは良くないんじゃないかな
そして、彼(たぶん彼)の選択も、間違っているなんてことはないのだ
「この世を生き抜くためには感情なんて動かない方がいい」ということは、
生き抜く必要があるときには、感情を動かさない方が生存確率が上がるのだ
きっと今の彼には、その方がいいのだ その方がいい環境の中にいるのだろう
それでも心配になってしまうのは、
人間は、若いときに身に着けた生存戦略から
その後抜け出せなくなってしまうことが珍しくないからなのだ
いつか、この生き方から抜け出すべきときが来ても、
いつか、感情のある日々を送りたくなっても、
方向転換はすぐにはできない
その時期が来たのだと氣づくこともできないかもしれない
そのまま生涯の終わりにたどり着いてしまったら、
あまりにも悲しすぎる
だから……
だからどうか、
後悔のない人生の選択をしていけますように。