『その拷問受けてみたい』というまさかの欲求

真っ白な防音室に入れられるだけという
「白の拷問」なるものがあると知って

『えっなにそれ体験してみたい』と思ってしまったわたしは
ゃ ιょ゛ぃ


 

「白の拷問(白室の拷問)」とは、
壁も床も真っ白の部屋、
照明も計算されつくされているため影の灰色すらろくに落ちず
防音室のため音もまともに聞こえない……
そんな独房へ閉じ込められるというものだそうです。

部屋の中では自由なのだけれど、
食事は白いお皿に白米のみ、
香りを感じるようなものももちろんなく……

そうやって間接的に五感を封じられる(感覚遮断される)ことで、
時間の感覚も失っていき
氣が狂う…………
らしい

参考動画

消されてしまってたので
別の参考ページ

小見出し「2.白の拷問」


 

孤独たぶん大丈夫
今とあまり変わらない、

音がないのもたぶん大丈夫
最近自分の血流の音を聞くことが趣味になりつつある

白い色しか見られないのは……
どうだろう
やってみないと分からない

ごはんが白飯だけなのはたぶん耐えられないw

まあそれ以前に
ヒマに耐えられないんだろうけど

ネットとゲームも必然的にNGなるからな……

感覚遮断は体験してみたくても
知的刺激がゼロになるのはさすがにつらい

いや、うーん しかし
幻覚を一度見てみたいんだよね…………
知的刺激も封じた方が近道ではありそう…………
(ゃ ιょ゛ぃ)

なお直接五感を奪う拷問
目隠しとか手袋(指が動かない)されちゃうやつは
活動が制限されちゃうからヤダぁ

(拷問を受けるにはワガママでわらうw)

……ただ、その拷問 (実際には拷問じゃなくて実験) から解放された人に電話帳を与えてみたところ
必死に読み込み始めたという話を聞いたことがあるから、

感覚遮断って使いようによっては勉強や作業に活かせるのでは……

という氣が
しなくもない

参考リンク

 


 

「なして拷問を受けてみたいとかそんな興味を」については
『幻覚を体験してみたい』というのと
『肉体的な損傷が残らない』というのと、

『この拷問、わたしにとってホントに拷問になる?』が

氣になったので…………

幻覚は無理かなw
意識朦朧としながら見るのでは、
入眠時幻覚と変わらんしそれなら見てるしな…………
もっとハッキリ知覚と記憶をできるやつが見たいんじゃ

でも上でリンク張った記事に
「精神に異常をきたしたわけではないのですが、ありもしない幻が見えるのです。」ってあるから、感覚遮断の末にはハッキリと見られるのかな??

ていうか、朦朧としてなくても見えるってことは
物理的な五感を遮断すると
靈的な五感が開くということなんだろうか…………
靈的にも根拠のない、マジの単なる幻も含まれてる氣はするけれども

(「作り出してる」という観点もあるから、見えるもの全て靈的根拠はあるとも言えるけど)

疲れると精神が極限状態に行っちゃうことがあるけど、
それよりもつらいものなのか?っていうことが氣になるんよ

わたしにとっては、最近は特に
生きることが拷問そのものな時間がそこそこあって……

そのときの負担がどれだけのものなのか、
確認してみたくなっちゃったのだ…………

普通に生きられる人の氣が狂う環境下で
わたしがそうならずにいられたら、
それってその負荷に慣れているからでしょ、
常に拷問並の人生を送っているからでしょ、って、
ああそうか、やっぱり大変だよねこの人生!
人に何を言われても労ってやっていいよね、と
自分へそんな風に言ってやれる氣がするので…………

そんなこと拷問を通さずに言ってあげればいいんだけど
そこはそれ、好奇心もあるからwwwww

好奇心が湧いちゃうと抗えない…………
好奇心とは、知性の源泉でありバカの材料…………

 

だけど実際には、まあ耐えられないのだろうなあ。

自分で予想しながら驚いてしまった、
『ごはんが白飯だけなのはたぶん耐えられない』という部分に。

今の生活の中でこの拷問に一番近いのって、多分食生活で…………
最近の食生活は「最低限の栄養補給と空腹の不快を埋める」に目的を定めていて、食の彩りや楽しみや味わいなんてものはほぼ捨ててるから。

とはいえ、食える程度の味はつけているし、まずいもの(舌に合わないもの)や味のしないものは食べてない。というより食べられない。

だから、この拷問よりは全然マシなのよ。
それでも、週に一度程度耐えきれなくなって好物を買ってくる、それでギリギリ保ってるような感覚がある。

そんな経緯があったため「食が白飯だけ」のつらさについてはある程度実感を持った予想ができたから、『ムリムリムリムリ!!』と思ったんだけど…………

『慣れているから耐えられる』論でいくなら
一番慣れている食の貧しさが一番耐えやすいはずなのだ。
それがやるまでもなく一番耐え難いと予測できるって、ありえなくない?

思えば、他の五感はそれなりに満たされてるんだよね…………

目に映るものは、画面であってもリアルであっても好きになれるものが多くて、美しい色、味わい深いものたちだし。

耳に聞こえるものは、どうしようもなく動けない時は血潮の音を聞く以外にできることがないってだけで、普段から積極的に聞いてるわけじゃない。苦手な音を避けて、好きな曲を流してることが多い。

鼻は、合わない香りを嗅ぐと頭痛になるから嫌いなものは避けてて、良い香りもあんま嗅いでないけど不満はない。
触覚も似たような感じ。孤独についてもかな…………

こうやって思い返していくと、
「苦痛に慣れてるから耐えられる」んじゃなくて、

「ある程度満たされているからつらさが想像できなくて耐えられる氣がしているだけ」が

正解の氣がしてきたぞ…………

いやでもそうは言っても
「慣れているから耐えられる」も
ありそうだけど…………
日々訓練を重ねているのと同じなんだし。

「訓練を重ねているから耐えられる」も
「負荷が厳しすぎて折れる」も
どちらもありえると思う。

「ある程度満たされている」にしたって、
苦しい境遇に陥ったとき、

その幸せな記憶が助けてくれることも
記憶が幸せゆえに落差に耐えきれなくなることも
どっちもありそう。

 

結局のところ、
実際にやってみないことには、
どうなるのかもどう感じるのかも
分からんなぁ…………

自分で準備するのはめんどくさいのと
実際に取り返しがつかなくなったときに後始末がつけられなくて困るから、
試す日は多分来ないけどw

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