エゴイズムを殺して資質を生かしたい

わたしは…………

わたしはもう、人生を終わりにしたい
精神的にも肉体的にも苦しい時間が多すぎる
時を過ごす事がただただ苦痛
そしてこの苦しさを払拭できる可能性をもう信じる氣になれない

「生きていればいずれ良い事あるよ」は事実だと思っている
自分の身を以て経験もしてきた
けれども
それは苦しみとセットだとか長くは続かないとかも経験してきたし
その「いずれ」がわたしの耐久力が持つ範囲にあるとは限らない
とかも
考えてしまう

希望を持つよりも捨てた方がラクだと考える程度には、
そうなるに仕方のない経験と、苦しい時間を積んできたと自分では思っている

客観的にはそうでもないのだろうけれども
つらいときにも苦しい時間にも、客観的な状況の悪さなんてなかったし
人にも幸運にもいつも恵まれてきた
それでも
わたしは、“この程度”にすら、耐えられる人間ではなくて

先の希望も絶望も事実ではない、
わたしがそう思っている、思いたい未来に過ぎない

だから実際に未来がどうなるかなんて分からない
もしかしたら、全てから解放される奇跡が起こるのは明日かもしれない

それでももう、そんな希望にすがる氣にはなれない
幸福が明日からでももういい、お願いだ、もう終わりにさせてくれ
解放してくれよ
たのむよ


……というのが、
わたしの現在の心境なのだが……

わたしという個人の視点ではなく
わたしの持つ資質や能力を“使う”という視点から見ると、
「これを殺してはいけない」という感想になるのだ……

まあ、でも、同時に
その資質の発揮を一番邪魔している、
“殺している”のもわたし自身なんだけどな

資質が生きてわたしが死ねばいいのに
なんで逆なんだよ
マジで

わたしの心では物語が様々に流れているのだけれども
そのうちの一つに天才の嘆きがある

「どうしてこんな大きな力を持ったのが自分だったんだ、扱えるわけないじゃないか、もっと強いやつが持てばよかったのに、どうして、どうして自分なんだよ」

彼は才能を利用している、とても助けられてもいる、成果を出して、周りから認められてもいる、さらなる可能性も自然と期待されている

けれども、その力と本当に向き合ったり共に生きていく覚悟はなかなかできないでいる
逃げたい

わたしは彼ほどすごくはないけれども、とはいえ今味わっている心境は同じもので……

そうなる日がやってくるとは思っていなかったな…………

資質が生きてわたしが死ねばいいのに
なんで逆なんだよ
マジで

自分=自我(エゴ) を殺して
資質を活用する、

これ自体が資質を使いこなすために必須の道のりであり
個人が弱さを克服するためにも重要な修養なのだろうね


メモ

 

進んでいったページで、「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」について説明されている。
……スーパーエゴって名付けは雑くね?

心はどんなふうにできているのかな?

 

ざっくりまとめると、

  • イド: わがまま
  • スーパーエゴ: 良心的な価値判断
  • エゴ: 想い(イドとスーパーエゴから浮かんで来たもの) を実現する力

って感じだな。

「エゴ」って一般的には「自分勝手」ていう意味で使われるけど、ここで言うエゴにはそういう意味付けはないようだ……?

その理由はこちらでした↓

エゴの意味とは

エゴには2つの意味があります。1つは心理学で使われる用語で、自我・自尊心を意味します。もう1つは、利己主義という意味の「エゴイズム」を短縮した言葉としてのエゴです。エゴイズム(利己主義)は、他人の迷惑を考えず自分の利益のためだけに行動するやり方、考え方のことを指し、そのような考え方の人は「エゴイスト(利己主義者)」と呼ばれます。

現代の日常生活で使われるエゴは、後者の「エゴイズム」の略語としての意味合いが強くなっています。

エゴの意味や使い方とは? エゴの感情をコントロールする方法を紹介 | マイナビニュース

なるほど。

「エゴイズム」と心理学用語の「エゴ」が違うことを知らなかったから
『自分=自我(エゴ)を殺す』という表現になったけど、

心理学用語の意味を踏まえると、逆の表現になるな…………

わたしが苦しいのは、エゴが弱いからだ。


この“弱い”は、“強い”の対義語ではない。

“有能”の対義。

「力が足りていない」ということ。

イドやスーパーエゴの想いを叶えられるだけの力を、エゴが持っていない。

エゴが無能。

もっと、鍛えてやらなくちゃいけない。


たぶん、客観的には、わたしの“エゴ”は、弱くはない。
それなりの有能さを、持ってはいるはずだ。

ただ、“その程度”では足りないほど、
イドが大きく、スーパーエゴが高い。

イドに我慢をさせたくない、
スーパーエゴを制限したくない。

そういう生き方を、選びたくなってしまったので。

その生き方に必要なだけのエゴが育っていないから、
摩擦が苦しみとして返ってくるという、
ただ、それだけの話。

快楽原理(イド)によってのみ、行動したとすると、たちまち、命があやうくなる。

スーパーエゴが発達しすぎると、小さなことにも非常にきになって、社会になじむことが、難しくなる場合もある。

なるほどなあ。


 

「中学生のための深層心理学」他ページから、この話も印象に残った。

心と体はどのように つながっているのかな?

責任感が猿を殺す話。

人は安定を夢みて「思い通りにできる」方向を目指すけれども、
行き過ぎたそれは自己を破壊する行為となるのだな。

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後者、山羊座の記事について。

この記事を書いた時点ではまだ氣づいてなかったけど、
山羊座(土星)の影響が強い人達は冷えが深くなりやすいようなのだ……

いや占星術の教本にはみんな書いてあることだけど。
実感できたってことで改めてしみじみしてるっていうか。

そしてこの冷えはどうやら、
物事を制御しようとしすぎるところから来ているようなのだ。

抑圧もそうだし、努力もそう。
努力って良いことでもあるからわかりにくいけど……
要するに、イドよりもスーパーエゴを優先しすぎること。

思い通りにしなくてもいいところまで
思い通りに(適切に)動かそうとすることで緊張感が過剰となって、
交感神経が優勢になりすぎて体の冷えに繋がっていく。

そこから抜け出せた人もいるので、希望がないわけじゃないけど……

まだ文章どころか思考にも上手くまとめられないんだけど、
占星術においてマレフィックとかハードアスペクトとか呼ばれる不幸扱いの要素たちも
自身の波長を上げていくとベネフィックやソフトアスペクトみたいな使い方をしていけるようだぞ、って感じ始めてる。

元々そういう扱いをされている要素たちより扱いが難しいのは変わらないんだけど
難しいというか、調子が落ちたときに再び不幸要素として覆いかぶさってきたりはする……ような氣が する (まだ上手くまとめられていない)

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