わろたラッシュ

境界値 計算
きら い

(ぱたり)

境界値計算ってたとえば

「10人にプレゼント贈呈~!
列に並んでる人へ整理券を配りましょう
さて、整理券10番の人はプレゼントをもらえるでしょーか?」

てなやつなんですけど

整理券の開始が1じゃなくて0だったりするので
ワガハイのょゎょゎな脳ミソは
こんな簡単な問題にも混乱しちゃうのだ……

まして
「列1の開始は0ですが列2は1開始です」とか
「途中で○人辞退者が出たら何番までもらえる?」とか
なんか条件が重なってきたり入り乱れたりしてくると…………

う…………

ウワァ~~~~~ ๑๑(๑д๑)๑๑๑


今日は
くちびるを思いっきり噛んでしまいました
口の中にそれなりの穴が開いてしまいました
痛くはあんまりないですが、とても氣になります

服薬の間接的な影響

お薬を飲むことで、ほぼまったく動けない状態の体を動かせるようにはなるのだが、

起き上がるとか歩くとかの大きい動きはいいんだけど
細かい動きはかえってちょっとやりづらくなったりもしている

手が冷えたり軽く震えたりして焦点を合わせにくいのと、

動いた際に
脳が認識している体の位置(身体図式)と
実際の体の位置が微妙にズレてしまいやすいようだ

脳みそは無意識下で
体の位置関係を常に把握するという仕事もしている

これは、基本的には自覚できない

なんかピンと来ない説明になってしまったので具体例を出すと、
新しい靴を履いたときの違和感とか

あれは靴を身につけたうえでの身体図式がまだできていないために感じるもの

でもすぐに慣れて、自由に歩いたり走ったり動いたりをできるようになる

脳が靴を含めた身体図式へと調整を終わらせたから、靴を身につけた状態や違和感を忘れつつ、靴を含めた動きを自由にできるようになる

他にはタンスの角に小指をぶつけるという悪しき事故とか

人間の身体図式には足の小指が含まれていないため、
それを無いものとして動いてしまうけど
実際にはあるからぶつけてしまうという悲劇が起こるのだとか

だから、ちゃんと調べてみると結構な割合の成人に
足の小指の骨折跡が見つかるとかなんとかwww

どっかの整骨院の先生がブログに書いてた
本当かどうかわたしの記憶違い情報なのかは
分からないw

そんなこんなで

細かい動きの制御が地味にやりづらいので
そのぶんタイピングがしんどかったりもする

フリック入力はそうでもない
動かしてる指が1本だけだし、細かく動かしはしないからかな?

そう考えると、タイピングって全部の指を全て微妙な動きで使うし、結構高度な動作なのかもなあ

だいぶ話が逸れたけど

唇を「ザリッ」と噛んだよおぉ

痛かった……

痛かったぞーーー!!!!!

しかし普通にしてれば
ボーッとしてても急いでいても
ザリッ ってすることほぼないし

タンスも人混みもぶつからず進んだりができるよね

(いや今のわたしは自信ないけど 薬あってもなくても)

視界に映る物と
自分の身体とその位置関係を
動きまで踏まえながら
常に把握&判断し続けてるんだなあ、

と思ったら
生き物の動作機能って
マジでパねぇなあと
思うのでありますで候


 

大きい動きはいいんだけど
細かい動きはかえってやりづらい

これは、体の動きだけではなく
思考にも言えるかもなあ

薬飲んでない日にこの記事をまとめながら思った

伝えたいことの要点は一応押さえてるけど、
文章がなんか支離滅裂なんだよなあ
うーん


 


あ あ あああ
しんどくなってきた

天氣が陰ってきたからなのか
体が疲れているのか
それとも……

あとはどんな可能性があるだろう

そこそこ山だからかなあ、
空が雲に覆われて雨降っては晴れて
カーッと晴れてはまた雲と雨がやってくる……のを
数日ごとに繰り返してる氣がする

ちゃんと追いかけてはいないんだけども

今回の低氣圧は
あんまり苦しまずに超えられるといいなあ……
雨だって好きだし、もっと好きにもなりたいのだ

変に活動とか考え事とかしないで
大人しくしてるのがいいのかな……



かわいい
まるい
ちいさい……!


なんか笑ったw

キッコーマンさんの豆乳、どの味も美味しそうで心惹かれるのだけど
肝心の豆乳の味がなんかどうしてもダメで、
楽しめないのだ残念なのだ……!
ぐぬぬ!!


わろたwww

わかるよwwwww

理性が働いてるうちは……
本当の感動じゃねぇ!!!!!
(暴論)


わろた


「ゆーちゅーぶのおすすめに
ひろゆき切り抜きしか出ない人ー♪」

「「「ハーーーイ!」」」

わろたwww


能力欲張リストのわたしから言うのもなんだけど

ホント、「技能やスキル」と
「それらをお金に替えること」
「お金や生産力やタスクを管理すること」って全然違う能力だなあと
マジで

このあたり
神田昌典氏は「桃太郎」になぞらえて説明してるし
ウェルスダイナミクスなら「プロファイル」なんだけども。

これらの理論は役割分担、別々の人間で担当するって話なんだけど
お互いが手を取り合うためにも、ひとりで小規模の仕事をこなすにあたっても
結局は自分の内にある程度、すべての要素を備えている必要があるなあって。


きっと、高次元に近づくからなのだろうなあ。

知性のレベルが低いと、
思考の範囲が狭いから
自身の体験の範囲にある考え方や価値観に振り回されてしまう。

思考の強度も弱いから、
欲や感情を止められずに流されてもしまいやすい。

これはつまり、“我”に振り回されている状態。

知性を持つことは、
自分には及ばなかった考えを知ることであり、
TPOに合わせて自分を制御する必要性へ従うことでもある。
狭い“個人”の範囲から解き放たれるための足がかり。

だから「その世界の眺めは酷く美しい」のだろうね。

物事の奥深くにたどり着いたとき、そこは必ず美しい。

関連記事(自分の)真実へ到達するまでの段階

 

ただし、知性を得ることは
「思考において、それまでいた狭い範囲にとどまることを許されなくなる」ことでもある。

物事が見えるようになったら、届くようになった新しい範囲とも付き合っていく責任が生じる。
ときには「見えない方がマシだった、ラクだった」と思うこともあるかもしれない。

それもまた、知性で枠を超えた先には美しさが待っているはずだと、予想はできる。
けれど、すべての枠を超えるには無限の知性が要る。
そんなことは、人間の一生で達成できるものではない。

…………

高次元波長の本質は知性ではなく心境・状態だから、
頭脳の優秀さに劣る人が低次元、ということもないんだけどさ。

(むしろ、度合いによっては物事を理解できない分
いつでも赤子のように澄み通った心境でいられるわけで)

それぞれの望みに従って、
知性を獲得しつつ、あえて目を背けたり許容する範囲もある、
そういうふうに付き合っていくのがいいのだろうね。

「アルジャーノンに花束を」が読みたくなってきたナー


悪意よりも善意の方が扱うのが難しいなあとよく思う

そして、自分が発している善意だって
悪に加担しているかもしれないのだと。

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