倫理の先生の「人の話をよく聴こう」みたいな話に「パワハラ上司や毒親の話もですか?」と反論したら
「レベル1でラスボス級を相手にしようとしなくていい。まずは好きな人の話をよく聴くところからレベル上げして。好きな相手の話すら聴いてない人、多いから」って言われたのすごい納得した
この話題で真っ先にパワハラ上司を連想するひとは
どの程度お話を聴く能力があるのか以前に
この話題で真っ先にパワハラ上司を挙げちゃうような
極端な発想を当然としていることに問題があるのではという可能性が頭をよぎった
(その理由が自身の思考であれ環境要因であれ)
「過酷な競争社会を生き延びれる人材を育てる」より「そんな過酷な競争をしなくても生きていける社会を作る」方が大事に決まってる。
ほんとぉだよおぉ (;ω;)
まあ、自分は競争に参加しなくていい社会だったところで
適応できる自信ないんやけどな (・ω・)
というより、すでに、競争しなくても生きていける社会、実現できてると思うんだよね……(とりあえず日本国内だけ見たら)
だって衣食住(と安全)をまかなうのに何割の人が働けばいいか?って考えてみて、10割いくわけないやん……
てことは、競争(≒生存競争) いらんやんけ…………
なのになんで競争がなくならないのかっていうと、
「衣食住を買い取る(勝ち取る) ためのお金が必要だから」なんよね……
みんなに必要な分が行き渡るだけあるものを
勝ち取らないといけないっていう……
そのために競争がなくならなくて、それどころか熾烈になってくってぇ、
しゅっげぇバカらしい状態だと思うんやがwww
まあ、「じゃあお金や生存競争がなくなったら心穏やかに暮らしていけるか?」って問うたら、たぶんそうはならないんだけどさ…………
承認欲求で勝ち上がりたがる人っていうのがいるはずで、競争を始めるはずで、組織戦を始める人も出てくるはずで……そして、そこへ乗っかる人も出てくるはずで。
その先ではやはり、競争を望まない人も巻き込まれていってしまうことになるはずなのよね。
だから、競争の動機が入れ替わるだけで、いずれは今と大して変わらないところへ落ち着くように思う。
結局のところ、人々の在り方は人々自身の意識が反映されているだけだから、表面の何かを変えてみても根底が変わっていないのなら同じところへたどり着くだけなのよな。
それがムダだとは思わないけど。
表面から根底へ向けて変化を加えていくことだってできるから。
逆に、根底が変われば
表面への変化を加えなくともその実情は大きく変わっているはず。
白魔道士だ……!
かわいい キレイ エレガント!
16歳の時自殺未遂して重度障害者になりました。知り合いの重度障害者にも自殺未遂の子、結構います。死にたくなる気持ちはめちゃくちゃわかるし実際希死念慮は自分でどうにか出来るものではないです。「死にたい」と思ったら軽く見ないで、しかるべきところへ相談を。家族や友達も協力してください。
死にたい、と相談をいただいたら「死ねると思うなよ」と返しています。
私は5回、自殺未遂をしてきました。軽い後遺症もあります。重度の障害を伴い生き残る人が自殺者の2倍いるなら、失敗者はさらにたくさんいるのです。
死にたさは自分ではどうにもできません。まずは病院へ。最近
『自殺願望・希死念慮は意思ではなく状態の悪さから来てるだけだ』ってことに氣がついて、
『どんなに長く、常に、死を考えてしまっていてもそうなのだ
それは、長く、常に、状態が悪いのだ
良いときの感覚を忘れるほど不調が常態化しているだけなのだ』っていう結論に至ったんだけれど
まだうまく、記事にできていない
アスファルトで育つ雑草は逞しさの象徴のように扱われますが、実は森の中ではあまり育ちません。
それは自分よりも強く大きな木々が日光や水分を取ってしまうからだそうです。
社会でもそうです。
力を付けるための努力も大切ですが、それ以上に自分が成長出来る環境の方が大事なのかも知れません。へぇー!!
知らんかった『アスファルト突き破るのはすごいな』って思ってたけど、
単に「他の生命たちが生き抜きづらい場所を選んだ」っていう、生存戦略の違いに過ぎなかったのねぇ。