暴君に見えてもそれは奴隷

今日は休薬日
時間を過ごすのがつらい

手は動くし文字もある程度読めるし
精神状態も悪くない
全然マシな日

それでも時間を過ごすのがなんだか苦痛
ただただ苦痛

わたし服薬始めるまえどうやって生きてたんだ……

だからって、じゃあ、
服薬したいか、服薬ずっと続けたいかと聞かれたら
それはそれでイヤだ……

動くもイヤで止まるもイヤで
どうしようもないやっちゃなあ

薬でアゲアゲしてないと
よく分からないタイミングで泣いてしまうので
それはよろしくないんだけれども

泣きたいときに泣きたいだけ泣けることには
幸せを感じている……

……けれども
苦しみと幸福が同時にあるとき、意識を引っ張るのは
どうしたって苦しみだ


 

そんな中、
人が (生き物が) 涙を流す理由がふと氣になったのだ

機能的には、ストレスの解消だと思うんだけども
涙はストレス物質を溶かし込んでいるので、流した分体内からストレス物質が減る

でも、それだけなら、例えば尿を通して出るようにしたっていいと思うんだな

もしかしたら
器官の配置的に脳と目が近いからなのだろうか

長時間トイレに行かず水分補給もなかった場合、
体は膀胱内の尿から水分を再吸収するからなのだろうか
そこに乗せるとストレス物質も再吸収されてしまうっていう


そういうあたりも関係しているのかもしれないんだけれども

でも不可能ではないと思うのだ

にも関わらず、
下手したら視界の悪化を招く
目という器官からわざわざ流すのはなぜなのだろうか?

と考えてみたら、

もしかしたら、
「仲間に氣付いてもらうため」
なのかもしれないなあと

おもった

顔だからね、なんたって

涙があふれることで、
それほどのストレス状態にあるということが
自然に仲間に伝わることになるよね、
という

だとしても、
この機能をこじらせたり演技として利用したりする者がいて、
弱っているとみれば攻撃したがる者に見つかれば不都合を招くこともあるし、
等々の動きも関わってくるので

ストレートに仲間の適切なフォローが得られるとは限らないわけであるが

人は弱ったとき、1人になりたがる機能もあるけど

本当は泣くとき、1人になるのは不正解なのかもしれない


わたしは、自分のことがまったく把握できなくて……
疲労や肉体の調子を自覚できない。

長所も短所も分かってないし、
何を望んでるのか、何が心地いいのかすら、見えてるようで見えてない。

ほかのことたちも。

ときどき『こうなんだ!』って掴んだような氣になるんだけど、
その発見と感動を嘲笑うかのように
そう長くない時間の経過で、
忘れたり、
どうしても心を向けられなくなったり、
違う結論になってしまったりする

『自分はこれがいいんだ、合うんだ』を見つけて安住したいんだけど、

できない

だからもう『自分はこれがいい』を探すのは諦めて、
その時々の『これがいい』を考慮していきたいのだけども……

『自分』ではなく『今』を見つける。
安住を諦めて刹那的に。
盤石な土台に根を張るのではなく
綱渡りへ見出す楽しみと慣れを安定とする。

目標を持つとか計画を立てるとか先を見通すことも諦めて、
自分の顕在意識で物事を操作するのを諦めて、

その時々の心の流れのまま、ただただ
好き放題に情報を取り入れたり吐き出したりと思いつくままに過ごしていきたい

そこにあるのは人間の自律ではなく、猛獣のご機嫌取りでしかない


人からは、猛獣を必死に制御しているようには見えないだろう
人間が、できる自律を、するべき自律を捨てたようにしか見えないだろう
その振る舞いはとても自由で、暴君のように自分勝手なばかりに見えるだろう

でも実のところ、
その本質は王様じゃなくて奴隷なんだ

猛獣の……
アイデアの、奴隷

人には従わない、
人の定めた規範には従えない、

ただし人よりもずっと大きいものに
常に突かれている

逃れることはできず
逆らうこともできず
操り人形になるしかない

そんな感覚

ただしこれは単なる苦役でもなくて、
その呼び声と同調できたら、求められた仕事に応えられたら
これ以上ないほどの喜びを味わうこともできる

むしろこき使われている時間こそが幸せであり
従っていない時間の方が苦役

だからもう、アイデアの奴隷でいたいんだけど……

全然役目を果たせない、不甲斐なくてごめん、
誰に叱られるでもないけど
申し訳なさ


役目を怠けても
叱られることはないけれど、
従えない時間の苦しさが何よりの叱りでもある


眠……

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