誰にでも同じ褒め方で
— +++ ニア +++ -❦➛ (@nearr_aaccount) April 14, 2020
褒めれば喜ばれると思い
引き出しの無さを知られてる
好かれようとし媚びて見えて
まだ親しくないのに踏み込んで
いつの間にか避けられる
人となりをしっかり見て
褒められたい所をしっかり褒め
お世辞じゃなくて言葉を選び
時間をかけて親しむ人が
いつの間にか好感をもたれる pic.twitter.com/NJkLOAjCn7
この件も、相当鍛錬積んだよ…………
“相当”を自称するのは思い上がりかもしれないけど
どうもわたしの“普通”や“努力目標”は
平均を大きく外れて圧倒的なんじゃないかと疑問を持ち始めたし
尊大になってやるゥとか思ってるとこなので
もういいよ“自称相当”で
人となりをしっかり見て
褒められたい所をしっかり褒め
その人それぞれにここを見極めて実行できるようになれるよう試行錯誤を重ねてきた
もちろん完璧とは言わない
ただ たださ
今のわたしはどうしても悔しいんだ
自分が人を理解しようと努力してきた結果が
自分のことを理解してほしい場面で理解されなくなる結果を生んでるのがさ
いいんだよ別に、
自分が理解されるために他者への理解を示していたわけではないから
最初の目的はそうだったけど、そのうち好奇心が満たされることが何よりの報酬になったから
それでいいんだ 人間からは何も返されなくても
でもやっぱ、
欲しい理解が欲しい場面で得られなかったら不満も出るし、
しかもそれが自分が提供し続けてきた(と思える)ものなんだったら
悔しさもひとしおというものだよ…………
この鍛錬は、本格的にやるなら
コミュ障(というか少数派)のほうが
成長率は極端に高い
その人の持つ知能次第でもあるけど
相手を見極めて喜ぶポイントを探すには、
「相手はこれを喜ぶだろうか?(嫌がらないだろうか?)」という疑問が必須だけど、
多数派に属していて無理解の苦しみを意識したことがない人、
もしくは無神経な人は
ここを検討しないから
「相手が喜ぶこと」ではなくて
「自分がしたい親切」をしてしまう
親切は親切だから、悪いとは言わないけど
ただ、そういう親切は、愚か者の親切である とは言える
……という表現は、相当神経質で、乱暴だけど
人間なんて生涯愚か者から脱せられないんだから、いんだよ、愚か者でも
……人間は生涯愚か者から脱せられないんだから、
わたしは、
自分がどんなに人へ親切にしようと
それが相手を苦しめている可能性を潰すことができないので
『いいことしたなあ♪』と喜ぶことはできないし
そして
人間は生涯愚か者から脱せられなくてもいいんだから、
誰かの
わたしを見ようともしていない親切を受け取りたくないと思っても
『親切にしてくれてありがとうね』と
かろうじて言える相手を傷つけないであろう部分の本心を矢面に立てて
不満と共に受け取るしかなかった
これ以外の適切な対処法を見出だせる知恵が、
愚か者のわたしにはないから
これからはもう、捨てるけど
わたしのことを尊重できていない、
相手が自己満足したいだけの親切、贈り物なんて、
もう大切にしなくてもいいよね?
理解と尊重には理解と尊重を返すけど
無理解と自己満足には
無理解と自己満足で返してもいいよね?
せめて相手がわたしに侵害してこなければ
これを返すこともなかったんだから
理解したぶん無理解が返ってくるのは本当には当たり前のことだし
何かに習熟すれば、それすなわち専門知識だから
理解をできる人が減るのは当然なんだは
個性の追求とかも同じ
これはいわゆる専門知識の扱いはされないけど、
理解者・同調者の少ない領域に踏み込んでいくという点では同じ
だから、
人に社会に迎合せず何かを伸ばしていけば
その領域を理解したぶん無理解が返ってくるのは
本当には当たり前のことなんだ
とはいえ、これは知識や知恵の話であって、
単純な氣持ち(幼児でも実現できる領域)では、
理解(善意)には善意が返ってくるよ
親切心がなくても親切はできるし
親切心があっても親切になっていないこともある
知恵は大切だ