わたしもやべぇわ
~見えていないことがまったく見えていない~

 

歪みまくりな権利の認識

自覚しかけてはいる……けど、すぐには受け入れがたい


その中で目に留まった意見は、

「謝罪しているといっても、努力や苦労をしている“いい生活保護の人”しか救われるべきでないという思想はそのままじゃないか
(苦労していない人も保護するという価値観が加わったとは思えない)」

という内容でした。

わたしはこの点に、違和感を持ちませんでした。
持てませんでした。

そこから、
わたし自身も同じ思想を持っていて、
「努力しない者は救われるべきではない」という価値観へ
積極的ではないながらも加担していたことを自覚しました。

自身が保護を受けていることを後ろめたく思っており、
人を責めようとは思わないけれど
自分に対しては、なかなかそう思えなくて……

侮辱されたとして、差別されたとして、石を投げられたとして

『そういう目線を向けられても仕方がない立場にいるのだから』と、

疑いもせず受け入れてしまう感覚でいました。

自分だけでなく、他の人がそのように扱われてもです。

容認しているわけでは、決してないのですが……
『攻撃をする(受ける)のは良くない!』とは思っています。

しかし同時に、
『そういう目線を向けられても、仕方がないよね』という諦めが、ごく自然にあるのでした。

素でこう思っていたので、
その敵意(攻撃)が不当であるということに驚きを持ちました。

そんなものを当たり前に受け入れなくても良いのだということにも衝撃を受けました。

そして、この辺の価値観というか認識というか感覚について、
どうやら自分がおかしいのだなということをきちんと認識し、受け止め、態度を改めなければ……ならない……、の、だろうな、と、思いまし、た (弱氣)。

自分に対する敵意を受け入れることは、他者へ向けられる敵意も受け入れてしまうことですし……
それは大切な存在たちを危険に晒すことにも繋がりますし、
極論、世界に敵意が増えたり満ちたりする流れを助長することにも繋がってしまいますから……

だから、うん、だから、
たとえ自分の側に後ろめたさがあったって、
侮辱は受け入れなくっていいんだ、うん、
うん (自己説得) (必死)

言うて、生活保護には
受ける要件に「働ける人は働いてください」があるので、

「努力しない者、苦労を背負っていない者は利用できない
== 生存権を実質剥奪する」

という思想は
制度の一部であるような氣もまた、しているのですが……

もちろん、本当に不正でしかない利用を防ぐためにこの事項が真っ先に必要、ということも、分かるのですが……

この一文を意識するたび、

『じゃあ、本当の本当に怠け者で
保護されなくても働く氣がないような人は、もう、野垂れ死にしか選択の余地がないのだろうか』

という疑問が浮かびます。

自分がもう、切られても無理なので、
怖くてどうしても、考えちゃって…………

そこまでの人は、なんらかの疾病を抱えていそうな氣は、しますけれども……

客観的にはそう思えるのですが、自分自身に対しては、やっぱり、どうしても…………

わたしは、自分が、福祉に助けを求めても良いほどの疾病を持っていると、どうしても納得できないのです。

『障碍じゃない』とか『病氣じゃない』とかじゃなくて、
『やっぱり、甘えてる、怠けてるだけなんじゃ、ないか?』って。

……自分の恐怖心に話が逸れてますね、すみません。

※逸れついでに補足をふたつ

>生活保護には受ける要件に「働ける人は働いてください」がある

憲法の中に、下記の内容がありました。

日本国憲法 第三章 第十二条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

日本国憲法 | e-Gov法令検索


つまるところ、権利は政府が保証するものではなく個々人が勝ち取るものでもなく、国民たちみんなで作り、頑張り、維持するもの ということですね。
「怠け者からは生存権を剥奪する」という考え方ではなくて、
「みんなが怠けたら維持のしようがないからね」という、ごく当たり前の話なんで……しょうね……

「働いてください」も、個人へ向けられたものではなく「みんな」へ向けられたものであると。
「みんな」が維持してくれるなら確かに、個人はがんばらなくてもなんとかなる。
しかし、一人ひとりの個人ががんばらないと、「みんな」による維持は成り立たない。

そういうバランスの言葉であると……解釈しました。

>自分が、福祉に助けを求めても良いほどの疾病を持っていると、どうしても納得できない

生活保護は、必要に応じて健康な人でも受給できます。
重要なことなので勘違いなされませぬよう……!

わたしが恐れを持ってしまうのは、いわゆる勤労も就職活動ももう無理なので、自営でも稼げなくて、だけど「健康で怠けているだけの人」だと受給できないので、打ち切られるともう暮らしていく手段がないので、疾病にすがるしかない (と思い込んでいる)
という……

「本当に追い込まれたらやる氣出すでしょ?」と言われたことがあって、
深く刺さっていて…………

でも本当に追い込まれたらやる氣が出て
やる氣さえあればなんとかなるのであれば
人間は必ず野球選手にも海賊王にもなれるはずだし
わたしはこうなる前になんとかできたはずなのだ……

と、自分の中では思っているのですが、
対外的に主張できる正当性はまったくありません。

すみません。
いろいろとすみません…………


生存権の絶対性、知っている人は、なぜ知っているの?

社会の一員として
どうしても拭えない劣等感を持つ中で、

「優勢思想じゃないんだよ、
役に立ってなくても生きてていいのが生存権なんだよ!」

「『死んでもいいなんてダメ、大切な人が悲しむから』は違うんだよ、
大切に想ってくれる人がいなくたって、
愛してくれる人がいなくたって、
生きてていいのが生存権なんだよ!」

というツイートをお見かけするたびに、
少しの安心を覚えられましたが……

これを言える人たちは……

どこでこれを知ったの?

という疑問が湧いてきます。

いつ知ったの??

誰が教えてくれたの???

なぜこんな、当たり前でないことを知っているの??

学校かな。

わたしも授業で聞いたのに、忘れちゃってたのかな……

親なのかな。

そんな話、出たこともないな……

個人の思考の中で、誰も他者の判断が及ばない中においては
『生き続けて良いのは当たり前』という結論にたどり着くことができたのですが、
社会の中においては…………

役立たずは
現代の被差別民であり、
石を投げられても
殺されてすら文句を言うことは許されないのだと。

このような感覚でいました。

人権や福祉は表向きは人々すべてを保護するためとして存在しているけれど、
本当に守っているのは、実際に守られている人たちではなく

「勤勉な(中流以上にいる) 人たちのためにある」と……

「“善良な市民”が安心して過ごすために、苦しむ同胞の存在により罪悪感を刺激されないために存在している」と。

加えて、「苦しむ者が目障りだから視界から消すためにある」と。
その送り先が死であるか、もっと寝覚めの良いところであるかの違いしかないと。

権利の認識も似たようなものです。
「支え合い、尊重し合う」という建前の裏には
「お前を助けてやる。だからお前も俺を助けろよ、裏切るなよ」という意図があるものだと。

暖かさや血の通う支え合いではなく、
各々が自身の身を守るための交換条件、裏切り者へ制裁を与えるためのルールに従った取引、に過ぎないと。

このような感覚がどうしても拭えず、
だから本当に助けてもらえるものだと思うことができないのでした。

普段からこのように考えていたわけではないです。

でも、今回の騒ぎを機に情報を集め、自身を内観し、
その価値観を深くまで掘り下げていったところ
たどり着いた内容は上記のものだったのでした。

このような世界観で生きていたわたしにとって、
福祉が真に福祉であり
権利が真に権利であることは、
大変に驚きの新事実であり……


この方は、ツリーの最後で

これ説明しても伝わらない人がいるんだよなぁ・・・。何でなの?教育受けてないの?こんな事を説明しなきゃいけない事態になるとは思っても見なかった・・・。

とおっしゃられているのですが、

わたしからは逆に、

『どうして理解できたの?
説明ができるの??
いつどこでどんな教育を受けたら、
理解できるようになれるの???』

という点が、やっぱり謎すぎるのです……

分からない……

このあたりの認識はおそらく、
基礎の基礎なんですよね……?
なんたって、命に関わるお話なので。

そんな“当たり前”が抜け落ちているわたしは
他にも何かと抜け落ちてるんだろうなあと……

心配になります。

人を見る目も自信なくなってきた

権利というお題からは逸れますが、
「この人(やひろゆき氏) の言うことを信じてるやつはヤバい」もね、ちょいちょい聞くのですが、
ピンと来ないでホイホイ信じてるんですよね……

まあ、彼らを楽しく眺めている理由が知識ではないので、信じているというほど信じているわけではない氣もするのですが。

いや、うーん、話半分レベルでならホイホイ信じているので
やっぱりホイホイ信じていることになるのだろうかwww

見抜けなんだ① 内容の信憑性

わたしにはその程度の認識力しかないのですが、わかる方が見ると一目瞭然のようで……

(ツリー↓から詳細なツッコミを追えます)

おぉ……

なるほどなぁ。

自分がツッコミを入れられるレベルに到底及ばない
浅学者だということがようけ分かるのぅ…………

(そういう人が教えてもらいたくて見るための動画なのだから当然っちゃ当然なんだけど)

(いやまぁ見る動機に内容関係ないんじゃけど)

上記のツイートを読んで氣づいたのですが、

『内容の至らなさを指摘できるほどの知性(の持ち主)は、
内容が至らない話になぞ興味を持たない』

よね…………!

これって結構、怖いことのような……!

情緒的な話だったらまだ、諌めてくれる人が身近にいるかもしれないですが (今回弟さんが声をかけてくれていましたね)
知識や専門性の関わる話になると、それ以上の知性や能力がないと指摘をできないので……

そんな人物ただでさえ希少人種で
見つけるだけでも難しいのに、
そっから関わりを持つのも難しいとか!!
暴走したとき止められる人ゼロじゃん!!
Oh!!!

……と思って我が身振り返ってぞわわしたのですが、
よく考えたら自分に関しては

『知り合いだろーが目上だろーが実力者だろーが諫言聞かないだろ』

だったので

問題ナシ!! (問題しかナシ)

見抜けなんだ② 実は彼本人の知識ではない説

(元ツイートが削除され、画像も追えなくなってしまいましたが)

彼の動画のほとんどが、実は
他の人のブログを読み上げてるだけだよ、
という内容です。
ほほうほほう。

読み上げ元とされる「パレオな男」さんはこちらですね。

 

自分で真偽を確認していないので100%信用したわけではないのですが (ごめんス手間と集中力むりだった)

確認の難しい内容ではないこと、
動画の概要欄へ実際に「Researched by Yu Suzuki」と入っていることから、信憑性は高いのかな、と思います。(流し聞き目的の視聴だから、概要欄見たことなかったんですよね……)

彼の動画だけを見ていると「自身で論文を読み、まとめている」という印象を持つので (……持つよね?(゚∀゚;))

実は他の人のコンテンツをほぼ流用しているのだとしたら
この見せ方はあまりよろしくないのではとは思うのですが、

とはいえ彼の喋りや演出がうまいこと、
引用元をスラスラと暗唱する記憶力の良さはごまかしのない本物の実力だと思うので、
これはこれで価値のある動画を提供されていたと思います。
Researched って、お名前も入れていらっしゃるわけですし。

(とはいえ、ここで前述の“信憑性”が
足を引っ張ってくることも否定できないのですが……)


 

今回の話題とは関係ない自分の氣づき話なのですが、
「実は読み上げてるだけ説」を聞いたとき
ピンとくるものがあったので
ついでに書きとめておくです。

彼の知性を尊敬する一方で、

『科学や知識を愛する割には、
ずいぶん好奇心が閉鎖的なような??』

という点が謎だったんですよね。
スピリチュアルを頭ごなしに否定しているところとか。

スピが実在するか否かはともかくとして、
好奇心に心が開いてる人なら
「面白そうだね!」「いろいろ知りたい」「むしろ自分でもかじってみるか」ってなるイメージだったので……

頭ごなしに否定するのは、
科学者や研究者(の素質ある者)の態度ではない……
と、思ってたんですよね。

でも、あれだけ知識集めて覚えてるひとが、
応用したり自分なりに使いこなして成果出しておられるひとが、
実は好奇心ないとか、ほんなこと、ある???

って、謎だったのです。

でも、彼の好奇心が、
新しい世界を開拓してゆくことではなく
誰かが調べたことを記憶して引き出すことに作動しているのだとしたら、
納得がいくのでした。

「好奇心」と一言で言っても、
発想や可能性を広げようとする未来志向型(わたしの思ってたやつ)と
証明された事例を集めたがる知識収集型があるのだろうなあ、
と思ったら腑に落ちたのでした。

見抜けなんだ③ 反省(心)よりもテクニック(うわべ)?

謝罪動画に関して、
このような記事が……!

(記事は既に削除されているのですが、個人さんのサイトですしアーカイブを追ってリンクするのはやめておきます……)

それはあの謝罪動画をイヤホンで聴くと、よくわかります。

動画開始から14分ちょうどに、バイブで鳴り出すアラーム。

(これは普通に動画を見ていると聞こえません。イヤホンで聞くとよくわかります)

まじか……

そんなんよく氣がつきましたねというか
こんなんよく氣がつく人が現れるよなあというか

それでも氣づかれるような仕込みをしているとは詰めが甘いのではないだろうかというか
いや、完璧にやろうよって話ではないのですがw

さらにはこんな情報も。

※↑ここにあるキャプチャを載せたツイートは既にアカウントごと削除されているのですが、

「全く減っていないことはないです。
自分は今回の騒動で解約しました。
解約月いっぱいはまだ見られるので覗いただけです」という内容だったように記憶しています。

(それで、「呆れました」みたいな感想がくっついていたようないないような)

何を言いたいかというと

『この辺りを知ったところで、
わたしからの感想は特に変わらないなぁ』

という

特に言わんでもいい
どうでもいいことを
言いたかったでした、
ハイw

やっぱり『迷走してるだけなんじゃ?』くらいの感想で……

占いやスピに依存すると足元崩れるけど、
実は科学やテクニック(とか)だってそうだよ、

だけどその手段しか頭にないんだもん
総動員してそれで足掻くよね、
という……。

甘すぎるですかね……

まあ、わたしはデロ甘じゃねーと生きていけないょゎょゎ人種だし
なので世界もデロ甘くらいになっとけよと思っているので
まあ、こんなもんで……

実際に世界がデロ甘になったら
甘やかされちゃイカン人らまで
ダメに甘やかされちゃって
ダメなんでしょうけど……

でもなあ、
この方にはもう少し優しい世界に生きて欲しいなあとやっぱり思っちゃうんですよね。

「日本は恵まれてるじゃん」
「資本主義社会でもはや経済戦争やん」とかの
事実に基づいた客観の世界のお話じゃなくって、
もっと主観的な、その人の内側から見える世界の話として。

見えている世界が優しくなったら、
自然と人に向ける目も優しくなるはずですから。

全員がそうなるとは言わないけど、
この方は当てはまる人であると、やっぱり思ってしまうんだなあ。

そう思うのは、理想主義者すぎるのでしょうか……

自分がそこに属しているという自覚はないんですけれども…………

「本質を掴めればいいや」は傲慢というか不適切な態度かもしれないと思いはじめた今日このごろ

責任ある立場の人も含めた少なくない人たちが
よろしくなさを強く指摘しておられる中で、
そういった辺りがまったくピンとこないのは、やっぱりおかしいのかなあ。

自分(の属性)が侮辱されても劣等感で受け入れてしまう点は『そうだね改めようね』だとして、
そうじゃない方、
差別発言やそれを発言する人物に対する危機感とか……
全然湧いてこない…………

怒るかどうかはともかくとしても、
とても大事な部分をやはり、見落としているのではないかと…………
この人は、怒り心頭な人たちの言う通り、酷い人なのかもしれないぞと……
……いう前提にも立ってみようと思うんだけど、
うーん、やっぱりムリだな…………

わたしは日々、人や物事の本質を見たり見ようとしたりしてるわけなんですけど、
最近、

『本質を重視しすぎるのも、望ましくない態度なのでは?』

と、思うようになりまして……。

『本質に目を向ければ向けるほど、
逆に表層が見えなくなってはいないか?』

と。

なんて言ったらいいんですかねえ。

海の底が穏やかで肥沃であることを知っているのはいいことで、
これによって自然へ信頼を寄せたり
有事に「止まぬ嵐はない」と忍耐できたらさらにいいねなんですけれども、

そのために海上の嵐が見えなくなり
適切な対策を取らないまま「止まぬ嵐はないんだよ」と繰り返すだけの人物になっちゃったら
ただのボンクラで邪魔者やんけ、
嵐はいずれ止むだろうけどその前に大きな被害が出たり命が尽きる可能性だってあるんやぞ、
っていう。

『そういうことを言ってはいけないよ』ということには、
もっと毅然としなければいけないんだろうか……

この人の根底が信頼のおける人物であることや
彼なりに仲間想いであることは確信している、疑ってないんだけれども…… (抱えている恨み憎しみによる曇りと、それによる歪みが生じていることは否定しないですが)

今、表層は根底の良さなんて見る影もないほどに荒れていて、それがわたしには認識できていないのだろうか?

いやでも、ひろゆき氏だって大事には取っていないし武井壮さんだって「嫌な奴だなぁなんて思ったことないし」って…………

著名人が、直接の面識を持つ人達がそう言ったからわたしもそう思うのか?
「誰かがそう言っているから」を基準にするのなら、
「激しい怒りや危機感を抱いている人もいる」ことも基準に入れるべきとなるのでは?

誰が怒っていたって、怒っていなくたって、
彼らの受け止め方、感じたこと、判断が適切という話にはならないのに
なぜそんなものに自分の意見を委ねようと思うのか?

わたしには、自分に見えていないものが分からないから、
他人の意見の中にはそれが当たり前に入っているかもしれないから、
参考にしたい、取り入れたいなって…………

でも、彼らにもまた、見えていないものはあって、
何が見えていないのか、無自覚で発言をしているんだよね。

見えないことがまったく見えない、
それでも、言いたいことを言う以外にできることはない

人生において、分からなかったことが分かるようになることはあるけど、
何を分からないのかを、分かる日は来ない。
盲点がどこにあったのか認識できる日はあっても、どこに盲点が残っているのかを認識できる日は絶対に来ない。

今回の件に限らずいつもこの結論になっちゃうんだけど、
何も見えていないこんな自分が、
何を信じて何を支持したらいいのか、
何を言ったらいいのか、言ってもいいのか、分からなくて、

でもただ黙っているのもきっとあまり良いことではなくて、

もうホント、何も分かんねぇす………… orz

まあとりあえず今回は、
生存権についての認識を改めるのはいいんじゃないかな。
これはたぶん、迷わなくてもいいんじゃないかな。


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