この記事を作りながら派生したお話
わたしから人権に対する認識は、上記にある問答の通り
『他者を同意なく誰かの利益のために使ってはいけない』
『個人の価値観よりも国家権力の定めの方が強い』
なのですが、
記事にまとめている最中タイムリーに
人権に関するお話が入ってきまして。
聞いてみたところ、考えが更に明確になりました。
(17:35)
権利が守られるためには、
その権利を保証してくれる
権力が必要なんです
(20:33)
自分の権利を認めさせようと思ったら
何か国家みたいな権力に認めさせるか
自分たちで、その権力を作るしかないんです
(22:50)
権力っていうのは、他人に対して、強制的に同意させる力なんです
集落や組織が特に何もしないと男尊女卑になりがちなのがなぜなのか、精神的な面からばかり考えてしまってスッキリしなかったんだけど、答えはシンプルだったんだね。
男性の方が腕力が強い、だから要求を通す力も強かった
ただそれだけなんだ。
腕力の社会において、女性(力の弱い者) は、権利を主張することができない。
物扱いされても奴隷扱いされても慰み者にされても、抵抗を通すことができない。
話し合いが通じず、力勝負に持ち込まれてしまったとき、勝利を得るだけの力を持っていないから。
だけど、そんなのは嫌だ、やめようという声もまた小さくはなかったはずで。
女性たち自身はもちろん、彼女たちを大切に思っている男性たちもまた。
それに、強者側に立っていられる人たちだって、常に暴力が支配する世界では今どんなに負け知らずでもいつかはやっていけなくなることが、少し考えれば分かるもんね。
(その「少し考える」をできない人がどうしてもいるから、暴力沙汰がなくならないわけですが……)
権力(≒暴力) を発揮できる一個人、そして組織等々に
もっと大きな規模の社会秩序と平穏を乱されたくない、その想いが積み重ねられて、今日の人権制度へと続いてきている。
そして、
「身勝手をしたい個人よりも
それを止めたい国家権力の方が強い」
という話に、戻ってくる。
しかし、これらを知ることは同時に
「護ってくれる権力の届かないところでは、
やりたい放題が通ってしまう」
ということも、理解させてしまう。
だから、
『表沙汰にするとか
適切に助けを求めるとか
危険を避けるとか
大切だなー』
という事も、改めて思ったのでした。
言葉にしてみると、当たり前のことだけどw
情報を取り入れて、思考を整備してから言葉にすると、
なんというか、実感が深まるね。
余談
紹介した動画で最初の方 (1:00~8:45) にある
「免許とは、
『権利制限の解除』であって
『権利の付与』ではない」
ってお話感激しました なるほどぉ……!!
(2:06~)
でまずね人間は基本的な権利人権の一つとして
乗り物を自由に運転する権利が全ての人間にあります(中略)
だからといってさあいきなり
幼稚園児や小学生が普通に車を運転して
人ハネちゃったら大惨事じゃない(中略)
ということはさあ
この乗り物自由に運転する権利を
自由に認めてしまうと
公共の秩序が保てなくなるんです世の中そう誰でも自由に運転できる世界だったらもう
道路の交通安全が保てず
世界の公共の秩序が保てなくなりますここで日本国憲法にも出てくる
「公共の福祉に反しない限り尊重される」という問題が生じるわけです
(6:03~)
法学上の運転免許っていうのは
権利を与えられるものじゃないんです厳密には運転免許っていうのは
運転する権利が与えられるんじゃなくて、
法律で制限されていた
万人が持っている車を運転する権利の制限を解除される解除なんですあれは
権利制限の解除が運転免許なんです
そうなんですあれは決して権利を与えられるものじゃないんです
運転免許っていうのは
あるま先生のお話はめちゃくちゃ面白いしためになるんだけど
聞くにあたって脳と体の耐久力的な何かを要するので
ホイホイ摂取できないのが口惜しいところです……
ぐぬぬ!