発達障碍の話題ズ

Twitterのトレンドを見るとなんだか
いつも「発達障害」や
その関連ワードが
上位に入ってる氣がするなあ

みんなそれだけ
苦しんでるって
ことだよね……

 

発達障碍の当事者会

 

わー これは確かに……

自分は ①情報 と ②共感 が欲しい……けど内容的に
コミュニケーションが一方通行になりがちなので

『動画とかブログでいいじゃん』って結局なりがち

直で話すことでのみ得られる情報が出る可能性はあるけど、直接のやりとりは時間がかかるし、興味のない話題を飛ばせないし、付き合いができると「その話前にも聞いたよ」が増えてきたりするので、面倒な氣持ちが勝ってしまう
めっちゃドライやなw

そんなだからか、③友達探し は、ターゲットにされると正直、発達健常関係なくうっとおしく感じてしまう……

面白くない相手や依存的な相手と義理とかで関わってるとそのうち攻撃心を抑えられなくなってしまうので、

『下手に付き合わない方がお互いのためかなぁ』と思って深入りしない方針にしている

興味のない相手でも、
優しさを出すとどうしても情は湧いちゃうから

懐を許すと今度は、深入りしすぎちゃうんだよね……

集まりというか人付き合いの話だな
どこかの集まりに所属・参加したことはいまのところない

ADHDの人の話し方

 

わ か り み orz

ちょいちょい飛ぶとはいえ、
話題の主題へ戻ってこられる、一応の結論へはたどり着ける……から……
マシだと思いたい……

(そうじゃない人がだめってことではないけど)

ついったとかブログの文章そのままで喋る感じだから、
いやもうホントこのままだから
相手にとっては長くて面倒か
そこまですら行けずに脳内自動カットされちゃうので
わたしは不満だし

かといって、わたしはわたしで相手の話あんま聞けてないと思うし

双方向の会話にはなってないんだろうなあ……
……って……
思ってる

思っては…… いる……

改められないけど

「『発達障害やうつは甘え』と言う方が甘え」&努力とは

 

努力には、
一直線の努力 (訓練、忍耐、根性論) と
流線型というか、
不定形の努力 (理解、知恵、変化) があるような氣が……してて……

直線の努力は製造や思考的なもので
流線型の努力はアイデアやひらめき、工夫に感性といった感じ

流線型の努力は、直線の努力では10年かけても超えられないようなことを一瞬で解決する力を持つことがある

あまりにも早く、そして実現に必要な直線の努力も比較的少なく見えることから
一見、努力してるようにも労力がかかっているようにも全然見えなかったりする

実際、至ってしまえばラク

でもやっぱり、「その境地に至った」ということ自体に莫大なエネルギーがあるし、
それが持って生まれた才能でなく意識的にそこを目指して歩んできたことで手にした成果ならば、
直線の努力では到達しえない価値があるんよな……

到達すれば天国
到達できなければ地獄

そして現在地の確認はできない

直線の努力は、労力はかかるけれど
やればやっただけ成果が目に見える
どうすれば良いかが明らかである、思考停止できるという点では、非常にラク

……なんだけど、根性論と悪魔合体させやすいから……
人間のリソースをひじょぉに搾取しやすいので、
加減を意識しないと、地獄

できるけど疲れる

 

自分は割といろいろできるタイプだと思うけど

(以前は自分の困難や体調不良の話を人にしても信じてもらえなかったw)、

その状態へ自分を持っていくのが自覚している以上に超大変なのでは……?
って疑っている今日このごろ

以前、散歩中に落とし物を拾って交番へ届けたけど
巡回中でお留守ということがあった

モノは名刺 しかもかなり偉い人の

金銭的な価値は低いけど、
持ち主にとっては重要だろうし、変な人の手に渡るとまずいだろうなあと思って
でも早く帰りたかったので
落ちていた場所を説明するメモを残していくことにした

そしたら、マトモに読める文字が書けなかった

『いやいやこれはさすがに』と何度か書き直したけど
何度やり直しても全部、いわゆる「ミミズののたくったような字」になってしまう

利き手と逆で書いたのか?と疑うくらい、思ったのと違うものがそこには出来上がった

自分はそれなりにキレイな、少なくとも読みやすい文字を書いていると自負していたので、地味に衝撃だった

これより前にもこれより後にも、読めない文字を書いたことはない
ミミズ字は書こうとしても書けない

この体験から思ったのは、

『もしかして、「文字を書くモード」にならないと文字が書けないのでは?
そういう切り替えが自分には必要で、でも自覚なく瞬時にやっているのでは?
あらゆることで』
ということ

いや誰しもがやってると思うんだけどさ、振れ幅が大きいというかさ

同じ「言語を繰り出す」という動作でも
人と話しているときと
文章を書いているときと、
プログラム言語を使っているときと
猫に話しかけてるときでは
それぞれ脳の動きが結構違うんだけどさ

これって多分、多言語を使える方には分かる感覚だと思うのよ

言語(使う脳分野)を場面場面でガラッと変えるって大変でない??
慣れてれば違和感ないかもしれないけど……

そういう引っ張りが日常動作のあらゆるところに潜んでいるならそれは疲れるような…… って
そう思ったのでした

猫に話しかけてるときは
言語は繰り出してなかったわ……

分かるひとには
言いたいこと伝わってると
しんじてる!!

(ごり押し)

障碍と診断されたい氣持ち & 障碍を決めるのは社会

 

「ダメだ、改めなければ、でもできない」から

「諦めよう、特性を踏まえてどうするのが良いか考えよう」へ移行できるのは
大きいよね……

 

本質だ……

障碍は
本人の状態ではなく
社会が決めるもの

……いや、身体障碍はさすがに人間社会関係ないのでは?
とも思ったけど、
動物たちは案外
体に不自由があっても
あるなりに元氣に暮らしていくよね

だからやっぱり、決めているのは人間社会なのだ
社会の当たり前に応じられない者が
障碍者というカテゴリに入れられていく

……って書くと、なんか嫌な印象になるなあ
障碍者のカテゴリは、生かしてくれるからこそできると考えると
そうそう悪いものだとは言えない氣もする

生き延びられなくてホイホイ死んじゃうなら
「死んじゃう人たち」としか言われないわけで
生き延びているから「障碍者」というカテゴリができるわけで
この言葉に対する思いやりや攻撃心も生まれるわけで

生存競争……
経済的な生存競争でなくマジモンの生存競争で脱落していくのと、
生存はさせてもらえるけれど経済的な、社会的な生存競争で脱落していくのと、
果たしてどちらが良いのだろうか……ということを
どうしても考えてしまうことがある


まだまだ
悲しいながらもめっちゃ面白い話が見つかるけど
キリがないので
この辺にしとこう

ねむい!!

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