そういや私も、スピリチュアルを「気持ち悪い」て感じてたことあったな…………(旧ver)

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今日も元気にガチスピ勢、ナツキです。

スピ系サイトの記事宛てについたコメントで、「読んでて気持ち悪くなった。途中で読むのをやめた」という内容を目にしました。

理解できない系の反応は「スピなんて全部嘘!」と攻撃的になるものだ……という思い込みがあったので、そういった感情が入っておらず淡々と「自分には読めなかった」という事実をつぶやいてるだけのコメントに不思議さを感じ、興味を引かれました。

「うーん、私は全然だいじょぶで面白く読んだけどなー
何が気持ち悪かったのかまったく分からん
この違いはなんだろう?
どうして私は平気で、この人は気持ち悪く感じたんだろう? 読めないほどに」

という疑問が湧いてくると同時に

「…………あれ?
そういや私自身も、スピ系の情報見てて気持ち悪くなったこと、あったぞ…………!!?」

という記憶がよみがえってきました。


スピ系情報というか、夢診断だったんですけれども。

あるとき夢診断を習慣づけたいなと思って、夢を覚えていた日は辞書をパラパラとめくるようになりました。しかし初期の頃は、読むうちになぜか気持ち悪くなってしまったんですね。

今思うと、シンボルと解釈の関連付けが現実の感覚とあまりにもかけ離れていたからだろうな……と考えられます。

論理破綻している人の主張って聞いたことあるでしょうか。言葉は理解できるのに意味が理解できないやつです。

大抵の人は、どんなにメチャクチャな主張でもその言葉を解釈しようという姿勢があります。謎を投げかけられた脳は、その答えを自動で探す機能を持っているからです。

しかし、論理破綻している主張というのは考えれば考えるほど頭がぐちゃぐちゃになります。筋を通して考え直そうとすればするほどわけが分からなくなって、「私の頭がおかしくなってしまったのか?」という感覚にすらおちいってしまいます。

夢はさらに論理が破綻していますから、きっと脳内にものすごい混乱をきたすのですね。「頭蓋骨から天を造り」って何を言っているんだオマエは

(それは北欧神話だ/関連記事:夢診断と神話

 

「そっか、[冒頭の人] が感じていた気持ち悪さって、きっとコレなんだ」

 

自分にとってあまりにも新しすぎる情報のため、理解できない。

異質すぎて理解できない。
でも使われている言葉は全て自分が理解できるもの。
理解できるのに、理解できない。
このギャップに混乱する。

その混乱が、気持ち悪さなどの不快感につながる。

(この不快感に耐えられなかった人が、情報を全否定して発信者へ攻撃を向ける。
情報を理解するのでなく、情報そのもの(と発信源)を無きものとすることで不快感を解消しようとする)

 

なるほどねー そういうことだったのかーーー なるほどねぇーーー‥‥‥


ちなみにこの気持ち悪さは、夢診断における世界観に慣れたら感じなくなりました。
あまりに現実とかけ離れているだけで法則はあるので、ある程度理解したことで「混乱をもたらす情報」ではなくなったのでしょう。
今は気持ち悪い解釈でも、ジャンジャンバリバリ平常心で読むことができます。

 

精神力自体が変わったわけではないので、理解できない情報は、今でも気持ち悪さを覚えます。

 

犯罪者の手記・ノンフィクションとかサイコパス診断とか、変人(と呼ばれている人)たちの問題行動がまとめられた情報に興味があるのですが。

彼らの思考回路や感性は私の想像できる範囲からはるかにぶっ飛んでいるため、読後はメンタル激消耗します。
SAN値が SAN値が………… *1 [SAN値]
正気度のこと。ゲーマー用語。

それでも好奇心が勝り、わからないからこそ理解したいんだー自分の中の理解パターンを増やしたいんだ という動機に支えられて情報を集めているうちにだんだん慣れてきます。(内容がえげつないものも多いので、そういうものに当たったとき良心は締め付けられます)

そうやって慣れても、新しいパターンの思考回路に当たると、やはり気持ち悪さを覚えます。

余談ですが、すぐ影響されるタイプなので、心理を辿っているうちに同調してしまい「ヤバい……彼は私……私は彼……私も同じ心理になり……同じ行動を取ってしまうのかもしれない…………!」って危機感が生まれて「静まれ……!私の中の悪よ……!!」みたいな戦いが始まります。
あほか。あほなのか。

それでも好奇心に勝てなくて読んじゃうんですけどね!
あほか。あほなのか。

彼らは彼らの正しさにもとづいて動いているので、“普通”の思考回路及び世界観は想像できなくて、実感したら気持ち悪いんだろうなあと思います。

 

そんな感じの私ですが、どうしても読み進めていけなかった文章もあります。
自殺の方法です。

「もう人生に耐えたくない。実行する勇気なんてないけど、気休めに方法を調べよう」

と思って読み始めたものの、途中で気持ち悪くなって断念したことが何度かあります。(“気休め”とはwww)

……こちらは、好奇心を貫き通そうと思えたことが一度もありませんでした。


こういった気持ち悪さを克服するというのは、新たな扉を開いてその世界観を取り入れ、自分自身の一部とすることです。
それは同時に、その世界の仲間に加わることでもあります。

だから、本当にその領域へ踏み込みたいのならば少しの間努力が必要だし、

そこまでしたくない、
したくても耐えられない、
耐えても耐えても変化がない、のであれば、
その世界へ行き着くべき時ではない、ということなのでしょう。

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