謝辞

このサイトは、全て自分の手で制作&改造を重ねて作っています。

制作者の性格がかなり調子乗り&思い上がりなので、
『どーだスゲーーーだろ!!』って思ってます。
めっちゃ思ってます。むちゃむちゃ思ってます。

…………しかしな……

そんなふうに自慢するには、あまりにも人の協力を得すぎているのだよ…………
だからおおっぴらにはスゲーだろできないのです。今言っちゃったけど。

そんなわけで、当サイト作成にあたり直接的にも間接的にも助けてくれている方々へ、この場にお礼を置いておきたく思います。

 

 

あに

ネタ提供、励まし、知的刺激、相談役、記事チェック、ストレス発散、ネタ提供、ネタ提供、ネタ提供めっちゃしてくる

寄り目が苦手なマイブラザー (◑౪◐)
わたしの人生にもんのすごく影響してるしもんのすごく世話にもなってるけど
距離が近すぎて感謝の実感がまったくない (◑౪◐)

(なかったんだけど、近年兄貴が
元々高かったサポート能力を更に上げてきたり
わたしの私生活が上手くいかないのをダイレクトに支えてくれたりで、
さすがに感謝の念が湧いてきた今日このごろ)

 

親切にしてくれる人たち

ネタ提供、励まし

自分勝手してるわたしを、嫌な顔せず面白がってくれる人たちがいるのはとてもありがたいことだよ!

基本的に他人を遠ざけているのに、それでも良くしてくれる人がいて、
しかも2~3人とかでなく何人もなのは奇跡としか言いようがない。
いい人ばっかりだよ……

それでも人と近い距離にいると苦痛を感じてしまうことが多くて、
せっかくのご縁を遠ざけてしまうことも少なくないのですが。
それでも見守ってくれていたりするので……

人間関係として応えることができなくてごめんなさい。
そして、ほんとうにありがとうございます。
わたしからも、心ではときどき、想い返しています。

 

尊敬する人たち

知的刺激、生きる希望

自分が恥ずかしくなったとき、人生に恐怖をおぼえたとき、目の前の課題を投げ出したくなったとき、
「でもここで○○さんならこうやって対処していくだろう」という例を目の当たりにさせてくれた人たちの存在が、わたしの勇氣を後押ししてくれることがあります。

全然追いつけないことばかりだけど、相手の人にとってはただ何氣なく普段どおりにふるまっただけなんでしょうけれども、
その生きた例を見せていただいたことが、わたしの中で生きています。

 

向き合ってくれた方々

ネタ提供、知的刺激

誰彼かまわず重い話題を振っています。『あなたのこういうところが不満です』とか『もしかして、こういうところがコンプレックスなんですか?』等。
友達、同僚、果ては取引先から匿名掲示板の相手など、ある程度落ち着いて話せる環境があれば本当に誰彼かまわず振っています。

それが相手を怒らせることも悲しませることもあります。若い頃は特にありました。
しかし一方で、受け止めてくれて、向き合ってくれて、真摯に返してくれる人たちにも会えました。その人たちが受け止めてくれた重みと、そして話してくれた人生の景色がそのまま、わたしの知見として蓄えられています。

わたしが誰かに希望を灯せたら、それは何人もの人生、体験談が支えてくれているものです。

 

素晴らしい文化の数々

知的刺激、素材提供

ゲームもアニメも漫画も大好きよ!! 有料無料問わず享受しまくっているよ。
時には現実逃避として、苛立ちのままに消費していくような扱いをしてしまうこともあるけど、しっかり世界観に入り込んで浸って味わって感動して、思い出にしっかり残ることもたくさんあります。
作品が呼び覚ましてくれる感動も怒りも緊張感も、ほんと愛してる。

感動を呼び覚ましてくれる芸術エンタメ作品以外にも、
サイト作る時の素材とか、元にさせてもらったスクリプトとか、機能を作る際に流用させてもらったソースコードとか。
そもそも言語とか使っている機械とか。
もうホントいろいろな人々の成果から恩恵を受けてわたしの生きる道に繋がっているよなあと感謝しきりです。

 

生活を支えてくれるサービス諸々

生活維持

手の届く価格で、行き届いたサポートをしてくれて、なおかつ個人的に踏み込まれない現代社会スバラシねハラショーね!!
生活力のないわたしは、別の時代に生まれていたら暮らしていける氣がしないのDeath /(^q^)\

 

このWebサイトを活用してくれた方々

見てくれる人がおらんと始まらない!
現状は、お客さんと交流らしい交流はしない方針ですが、声なき応援者は何よりの力です。

何回来てくれたのかとか、どれくらい氣に入ってくれたのかとか、わたしにはわからないけど、ご訪問ありがとうございます。

 

大自然

どんなに人間が支えてくれても、
そもそも大地の恵みがなければ体は死に絶え、
その美しさがなければ心が死に絶えるのだということが肚に落ちました。

「氣がつく」というような大仰なものでもありませんが、
わざわざ氣を向けなければ意識できないことでもあります。

大自然がわたしに在り方の変容を求めてくることはなく、
また、わたしが大自然に何か求めたからといって彼らが在り方を変えることもありません。

わたしはその関係性が好きです。
都市の良さも確かにあるのですが、もっとあなたがたに近いところで生きたい。

 

 

 

最後に、両親

載せてみたけど……正直、わたしには、
産んでくれた事への感謝というのがよく分かりません。

 

毒親ではないと思います。
氣付いていないだけの可能性は否めませんが、
健康を損ねずに成人できたこと、ひいきなく育てられた中で兄が精神的に病まないのを見るに、平和な家庭でしょう。
息子と娘の違いはあっただろうし、まったく問題がないとも言いませんが、なんだかんだ恵まれていたのではないかと思います。

父は少々、心配なところもありますが……。
暴力的な性格傾向がありましたからね。
でも、だからこそ、わたしは生まれてから一度も意図的な侮辱や肉体的暴力を振るわれることがなくてよかったと思っています。

母は懸命に子育てしてくれました。
日々きちんとした食事を用意してくれ、きちんと洗濯された衣料があり、医者へ連れて行ってくれて、健康的な生活を子供時代に送らせてくれました。ありがたいことです。

そしてふたりとも、わたしがやることへ口や手を出すことは (基本的に) ありませんでした。
そのように自由にさせてもらえたことは何よりもありがたく、わたしが現世へ生まれてくるにあたって、この両親を選んだ理由なのだと思っています。

 

とはいえ、そこまでです。
成長するにつれ、わたしはこの2人と過ごすことが苦痛になっていきました。
氣持ちを通い合わせ、価値観を共有できる相手ではない、というのがその理由です。

一般的には大したことのない理由かもしれませんが、わたしにとっては耐え難いことで、数時間の接待や我慢をする氣すら全くありません。
可能であれば、死ぬまで関わらずに暮らしたいと思っています。
過去に感謝することはできても、未来を共にするつもりはありません。(いずれ氣が変わる可能性はありますが、少なくとも、今は)

わたしが伝えたい、伝わってほしい、知ってほしくてたまらないことを、
両親が理解できる日は、生きているうちにはおそらく来ないでしょう。
だから、わたしはふたりの在り方に関係なく、わたしの時間を生きていこうと決めています。
ふたりが知ることのなかった世界の奥深さを見て、氣づくことのなかった深い人間関係を実現し、感じることのできなかった人生の味わいを体験していきます。

 

わたしの生き方は大変な親不孝でありながら、最終的には先祖にまで及ぶ最高の孝行になるものと信じています。
お互いに生き抜き、天寿を全うしたあとであれば、話が通じる可能性もあるでしょう。わたしは密やかに、そのときを楽しみにしています。

(……と思ってたんだけど、生きてるうちに理解できなかったことは
死んでからはますます理解できない可能性が高そうだなあと思い始めました。
だからといって、わたしの判断が変わるわけではないのですが)

タイトルとURLをコピーしました