関わった人の進化を促進したいぞ
わたしがラクするためにもw

このような記事を書きました。

世界には優しさの“技術”が足りない
大切な話のされない世界  人様のお話を根掘り葉掘り聞き出しながら思うのは、 優しくされるのに慣れていない人が、結構いるんだな ということ。 肯定してもらう、認めてもらう、受け入れてもらう という体験が、あまりにもなさすぎる。 それ以前に、話...

 

もともとこのページに書こうと思ってたことだけど、
脱線したしフツーにコンテンツとして成り立ったので独立させたった。

 

……で

 

ひどい話に聞こえるかもしれないけど、
「その先の要素」を見られるだけの器・素質を持ってない人に関しては、
もうしょうがないなって思ってて……

 

そんな中で惜しいのは、
人の話を聴けるだけの素質はありそうなのに、
知識や教育、考えてみる習慣のなさゆえに
素質のない人と同レベルの状態に甘んじている人なんだな。

そういう方々には是非ともご自身の素質を伸ばしていただいて、
「人の話を聴ける人」の一人になってもらえたらなあ と考えている。
勝手に。

最初はその人自身が「聴いてもらいたい人」に落ち込んでる可能性が高いので、できるサポートはしますのでね!

(と言いながらほんと、わたしは行動が足りない人なのだが……)

 


 

なんでこんなことワザワザここへ載せるかというと、
広く世の中のためになると同時に
わたしのためにもそうなってほしい話だから。

 

話を聴ける人間が少ない中で
話を聴ける人・聴く姿勢のある人が現れると、
どうしたってその人と親しくなりたいとか甘えたいみたいな氣持ちが湧いてしまう。

でも、わたしにはその氣持ちを向けられる人物としての適性がないし、
それを欲しいとも鍛えようとも思ってない。

 

「こんなこと話したの初めて……」
という台詞を、ちょいちょい言われる。

しかし、その人にとってのわたしは
人生で初めて出会った理解者かもしれないけど、

わたしにとってのその人は
たくさん話を聞いたうちの一人にすぎないことがほとんど。

 

感動体験をしたことで期待が膨らんで、
「こんなにもよく分かってくれる素晴らしい相手!」とわくわく話しかけたら
塩対応 (に見える) でガッカリだ……

という思いをさせてしまったかもしれないな……と感じることも、
これまたちょいちょいある。

誰の話もかけがえのないものなので、
唯一無二の大切な“思い出”には間違いないけど……
それでも、その人をわたしの唯一無二の大切な“人”にする氣はないのだ。

 

期待を裏切りガッカリさせたことに対して
申し訳ない氣持ちもないではないけど、
わたし自身は人付き合いにさほど重きを置かない性分で
相手が可哀想だからという理由で自分を与える氣はないので

『この人に、もっと身近に関わり合える
理解者が現れますように』

と願うばかりなのである。

 

だから心ある人たちよ、
もっとその優しさを親切心を
表現する技術を磨いてってくれ……!

わたしが要らなくなるくらいに!

 

……と、思ってるのだw

 


 

友達同士で施術を受けてくれた人が、その後
「もう一人が落ち込んだときに励ました」
という事があったと教えてくれた。

聞いてると、その励まし方には
わたしの施術で使った考え方や言葉の影響が感じ取れて、
ちょっとこそばゆい。

 

でも、最初は真似であっても
いずれこの人は、自分の言葉で人を励ませるようになっていくだろう。

もう一人の友達もきっと同じだ。

 

そして彼女らに励まされた人たちが、
また誰かの話を聴き、元気づけていくかもしれない。

 

自分の言動が
なにかの良いきっかけを作れたことは、
素直に嬉しいな。

 

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