適当なことを投げかけていく勇氣

潜在意識の読み取りは、とても面白い。

自分を読み取ろうとしても、いまひとつピンと来ないけれど (たぶん、馴染みすぎていて分かりづらいのと、欲や引け目が入りやすいのとあるんだろう)、

人様の景色を見せていただくとき、自分のものとは雰囲氣が異なるから、新鮮な氣持ちで楽しませていただいている。

 

内容をお伝えしたときに、相手の方が衝撃を受けたご様子をしてくれることが多いのも、正直嬉しいw

衝撃って言っても、傷ついたのではなく。
心のとても深いところに触れられた喜びや、
ずっと思っていたこと、または言葉にできなかったことを他人の言葉を介して聞くことができたという喜び、
そういった、喜びによる衝撃。

喜びが大きすぎて、呆然とされているときも嬉しい。
それは重要な扉が開いた、少なくとも到達した、という証であるから。
返事をしようとしても思考が止まってしまっていたり、逆に言いたいことがあふれすぎて訳分かんない内容になってしまうとか、これも同じように、嬉しい。

 

こういったご様子を見ながら、嬉しいと同時に、『おお、見えたものは合ってたみたいだ』『お役に立てたみたいで良かったなあ』って、安心する。

 

……なぜなら、読み取るときの感覚というのが、

“適当”

“なんとなく”

“そんな氣がした”

としか、形容のしようがないから。

 

読むのはとても簡単。
多分誰にでもできる。
というかほとんどの人が、既に当たり前にやっているはず。

でも、微細な感覚だから、
読んだものを意識すること・表現することは、なかなか難しい。

だから、読む能力自体は特別でなくとも、
できる人が特別っぽく見えてしまうのも仕方がないと思っている。
(とはいえ自分が特別とは思わないけど。訓練次第だ)

 

まず、読んだもの(伝わってきたもの)を記憶に留めるのが難しい。
夢の中の景色のようなものだから、
話すにしろテキストを打ち込むにしろ、表現している間に容易に吹き飛んでしまう。
というか、氣をつけないと、目を開けた瞬間に大部分、吹き飛ぶ。(読み取るときは目を閉じることが多い)

 

しかし、留めること以上に、読んだもの(伝わってきたもの)を信じるのが、難しい。
本当に、「氣のせい」と区別がつかないものだから。

『えぇ……こんな適当な内容、人様に伝えていいの……?』って、なる。
踏み込んだ内容、具体的な内容ほど、こんなにも適当なものを投げかけていいのかと、迷いが生じる。

生じるけどここで、「自信のなさや雑念に負けてはいけない」という要素が出てくる。

『これでいいの……?』なんて疑った瞬間、感覚がにぶる。
不安によって景色が揺らいだり、伝えるはずだったものを見落としたり、する。

 

じゃあ信じればいいのかというと、これもこれで雑念になってしまって、よくない。

『合ってるかな』という不安を無理に押し込めると、『合ってなきゃいけないの!』という執着に変形する。
鈍る。

というわけで、『合っているか、否か』を氣にしないのが、正解。

そんな無茶な。

 

そもそも、合っているか否か氣になる前段階には、

『依頼にはきちんと応えなければいけない』

『間違ったことを言ってはいけない』

『依頼者さんのお役に立たなければいけない』

という思いが、あるわけだ。

これらの内容は正しい。
正しいんだよ?
正しいんだけれども。

雑念です。はいアウトー!

 

だから、
『よかった、合ってたみたいだ』
『お役に立ててよかったなあ』も、
あるんだけど、思ってしまうんだけれど、正しいんだけれども、

氣にしないのが、大正解。

そんな無茶な。

 

こういうのを、無我の境地と呼ぶのだろうか。
でも無我を優先するあまり、心を封じるという手段に流れてしまうと、相手が見えなくなってしまう。
だから心を無くしたら、これもまたアウト。

 

揺れやすい心を用いながら、
揺れずに対応していく。

綱渡りのようだな。

 

つまりわたしは、

とても大切なことについての情報提供をするのに、

もんのすーごく適当なことを言わなければならないし、
それが本当に相手のためになるかどうかに囚われてもいけなくて

とはいえ、適当すぎて雑念や邪念が入ってもダメ
直感と、欲や願望・恐怖心は近い感覚だけれど、混ぜるな危険

っていう無茶を、やっていかねばあかんのだ。

 

「やっていかねばあかん」……

うん……うん……
その通りだね。その通りなんだけどね。
肩に力を入れてしまった。はいアウトー(そんな無茶な)

 

適当であればあるほど、良い内容になるんだよなあ…………

 

……と、ずいぶん仰々しく考えてしまったけれど、
コツを掴めたら割となんとでもなる、とも思っている。

だから、

「世俗で暮らしながら、その仕事をしていくのは難しいのでは?」

と聞かれたときも、

『うーん、でもまあ……
会社員やってた頃も一応対応できたから、大丈夫なはずです』

とお答えした。

 

……しかしその後、数名から立て続けに同じことを言われたので……、
やっぱ、難しいのかも……しれない……。

うん、難しい。そうね、難しい。
前言撤回しますわ…………難しいです…………

(全然関係ない人たちと違う話をしているなかで、なぜか内容や文言が重なるときって、守護靈さんからの言伝だったりするから…………)

 

ハイすいません。
正直『だいじょぶだいじょぶできるできるぜー!』とか、『俺ならできるぜー!!』ってカッコつけたい氣持ち、あった。
『できないって思われちゃいけない!』て氣持ちあった。
肩に力ちょっと入れちゃった。

コツ、掴んでも、するりと忘れそうになります。コツ、掴んでも掴みどころがない。明日忘れてもおかしくないです。毎回毎回一生懸命、危ういバランスとってます。
それがわたしの等身大。
見栄はりました、すいません。

 

油断も慢心もそして恐怖心も、雑念のエサだと分かっちゃいるけど……

混ぜずに話をするのはむずかしいね、とほほ。

 

 

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