伝える表現を選ぶことの難しさ

わたしの友達は、かつて占い師から言われたらしい。

「あなたは、40歳を超えたあたりから幸せになる」

 

……若い頃に苦難を通り、人生の後半から安定してくる。

そういう運勢というのは、確かにある。

 

でもさ、まだ20代にも達していない若者が、
「40歳以降は幸せだよ」なんて言われても、
一体、どうしたらいいというのか?

占い師さんは、どういう氣持ちで言ったんだろう?
相手の事を、考えはしなかったのか?

今まで生きてきた年数よりも、
今から幸せにたどり着くまでにかかる年数の方が、長いというのに?

その先で幸せになれるという情報が、救いになると思ったんだろうか?
むしろ絶望してしまう可能性というのを、考えはしなかったのか?
何も氣にせず、読んだままを言ったのか? 読んだ結果以外のことは、あまり氣にしないのか?

 

……いろいろと、思ったけれど……

 

人のことは言えない。

わたしだって、同じことをしている。

 


 

「仕事に熱意が湧かないし、趣味もない。
一体、自分には何が向いているんだろう?」

わたしが占星術をかじっていると知った人から、
上記の疑問を投げかけられたことがあった。

わたしは回答の一部として、下記のように伝えた。

『厳密な数字を扱ったりするのが得意そうです。
慎重に、見直ししながら、ミスを潰していくような……
定時にはきっちり締め切って、
融通はあまり効かせない、そんな…………

イメージとしては公務員“的”な業務です。
今から公務員に就くチャンスはなかなか無いかもしれませんが、
そういった立場・役割・業務はあらゆるところにありますから、
活かし用はいくらでもあるはずですよ』

それに対するお返事……未満の、反応が。

「公務員……」

「そうだ、公務員、向いてたかもしれない……」

だった。

……“公務員”という単語が、突き刺さってしまったようだ。

 

30代に入ってしばらくが経っている今更、
公務員向きと自覚したところで困るしかないだろう。

だから、公務員“的”を強調したし、
「公務員」という単語の影が薄くなるよう、がんばってみたけれど…………

どんなに言葉を尽くして「ああでこうでそんな感じの仕事です」って長々説明をしても、
「公務員」という、分かりやすくて強烈なたった3文字の前に霞んでしまった。

 

そりゃそうだよな。
わたしだって、あの説明聞いたら「公務員」しか頭に残らないよ。
そもそも、この単語を使わずに分かりやすく説明することすら、できなかったのだ。

 

その方と1対1で向き合っていたわけではなく、個人的な交流もなかったから、反応について詳しく確認することも、その後の経過を聞くことも叶わなかった。

だから、その後も落ち込んでいると、決めつけることはできないのだけれど……

一方で、この方に、「公務員を目指していれば」という一生ものの呪いをかけてしまった可能性も、否定できない。

 


 

こういう、相手の弱い部分を突いてしまいかねない説明をするとき、
一体どういう言葉選びをしたらよいのだろう?

一度間違えてしまったら、相手はもう、その間違えた言葉で繰り返し考えるようになってしまう。
そしてその思考には、きっと“悲しい”という感情がついてくる。

わたしだったら、その辛さを踏まえても本当の事を知りたい。
わたしだったら、悲しい感情と折り合いをつけることができる。
わたしだったら、嫌な出来事を比較的早くに手放すことができる。

だけど相手は、わたしじゃない。

 

だからといって、全く伝えないというのは、いかがなものだろうか。

ぼかして伝えたところで、いずれ相手はわたしが控えた言葉へとたどり着いてしまうだろう。だって本質がそこにあるんだから。わたしよりも相手の方が、その情報に近い位置で生きているのだ、もともと。

だとしたら、余計な回り道へ誘導せず、わたしから伝えた方がマシではないだろうか。
わたしの言葉選びが必ず正しいわけではないから、本人が自力で辿り着いたほうが良い結果になるという可能性も、否定はできないけど…………

でも、もっと大前提として、その人は何らかの答えが欲しくて探している状態なんだ。答えが欲しい人に対して、手がかりを隠すのが良い対応とは、思えない。

 

そして、わたしの元へやってきてくれたという事実。
その人はきっと、わたしの知識、経験、日々こうやって悩んでいること、そして間違える可能性まで含めて、わたしの率直な言葉を必要としているからわたしの元を訪れたはずなんだ。

わたしの言葉を必要としている相手へ、わたしの言葉を隠してしまったら、なんのためにやってきてくれたのか、分からないじゃないか。

 

それでも時には、「今は伝えられない」という事例も、あるんだろうけど。

「何らかの答えが欲しくて」ではなく、「都合のいい答えを求めて」という事もある。そういう場合には、「本当の答え」も、「都合のいい答え」も、提供しないのが得策となりえる。

 

どんなに考えても悩んでも、正解は出ない。
ひとつひとつの出来事と向き合いながら、その都度、最適解を探し続けるしかないんだ。

 


 

冒頭の占い師さんも、もしかしたら、
慎重に、配慮に配慮を重ねて、伝えていたのかもしれない。

それでも、「40代以降」という内容が衝撃的すぎて、
友人の頭から他の情報が全て、抜け落ちてしまったのだとしたら……

友人はネガティブ寄りで、「自分はこんなに悪い存在」という情報ばかり取り入れ、頭の中で繰り返す傾向があった。だから、占い師さんからの配慮が届かず、嫌な部分のみに着目して、他に伝えられたもっといい部分は忘れてしまったという可能性が、充分に考えられる。

 

どんなに伝える努力をしても、何を受け取るかは相手が決めること。
相手は相手の見たい部分、見える部分しか見てくれない、という点は、諦めなければならないのだと……
肝に命じないといけない……

しかし同時に、
これを、自分が怠ける言い訳にしてはいけない。

でも、どんなに全力を尽くしても、能力を磨いても、それこそ神になったって、
相手が受け取ろうとしないものは受け取ってもらえないのだ、という事実は、やっぱり認めないといけない。

認めるのが難しい。これを認めたら自分は怠けているのではないかという氣になる。
氣になるが、それでも、認めないといけない。

 

「こんなに力を尽くしているのだから効果出てくれ、正確な想いで伝わってくれ」という願いを抱いたなら、それはわたしの勝手なエゴであり、望みすぎなんだということを、認めなければ、いけない。

 

相手の人生は、相手が決めるもの。
わたしはそのストーリーへ、一時的に呼ばれたに過ぎない。
他者の人生を操作しようだなんて、おこがましい。

相手の人生におけるストーリーも配役も、決めるのは相手であって、わたしは与えてもらえた役を果たす以上に、すべきこともできることもない。

 

……だけど、適切な努力を続けていたら、
トラウマの作り手ではなく、
もっといい役としてお呼ばれする事が、増えるかもしれないよね。

わたしはわたしの幸せのために、そして相手の幸せのために、
幸せの運び手として呼んでもらえたほうが、嬉しいし楽しい。

だから、どんな表現を使うのが最適だろうかって、今日も考えていく。

 

 

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