よし、いっそ、普段どう悩んでるか開示しちゃおうぜ .more.

「悩み解決を手伝うプロが、日々思い悩んでいてはいけない」

……という考えへ、つい負けそうになります。

「悩み多き施術者」であることを開示したら……

信頼を得られないのではないか……
後ろ指さされてしまうのではないか……
立ち行かなくなってしまうのでは、ないか……

 

そこで思いました。

「よし、いっそ、普段どう悩んでるか開示しちゃおうぜ」

 

『人の悩みを解決手伝いする立場のわたしが、人へ相談するなんて……』

と、思うこともある。

自分でなんとかできないの?
自分のことがままならないのに、人の手助けをしてもいいの? って。

 

だけど、そもそもテーマが「相談」だから
『それを受けるプロでありながら悩むなんて……』っていうモヤモヤを抱えちゃうんよな。

 

たとえばお医者さんだって、
ご自身が不養生することもあるだろうけど
それが医師としての実力のなさを示すわけじゃない。

他の職業だって、どんなに優秀であっても
ご自身の本業に関わる領域へ問題を抱えることはあるだろう。

(もちろん、順調に越したことはないし
ご自身の不調によって対応の質が下がることがあってはいけないけど)

 

それに、もっと分かりやすい例を探すとしたら、
たとえば漫画家さんで

「漫画を描くプロなのに、漫画の描き方を悩むなんて……」とか

「自分が描く立場なのに、人の漫画を読むなんて……」とか考えてたら

いやいやいやいや!!

ってなる。

悩んでいいんだよ!
それは向上心だよ!!

人の漫画読みなよ!
勉強大事だし人から得られるものは大きいよ……!!

 

『このひとスゴそうだなあ』と思ったカウンセラーさんへ
会いに行ってみたとき、この不安をこぼしてみた。

わたしの言葉を聞いたそのひとは、
それまでの淡々と冷静とした様子からは想像しづらかった熱を込めて、

「こういう仕事“だからこそ”、
自分も人に相談するのが大事なんだよ!」

と、力説してくれた。

 

当時はその言葉で不安を拭いきることはできなくて
きちんと受け止められなかったんだけど、
きっと、こういうことだったんだろう。

 

その人の使う手法……というか、現場の空気感もとても勉強になったし、

やっぱり、人の力を借りることは大切だ。

自分では見えない部分、
他人だからこそ光を当ててもらえる部分ってどうしてもある。

 

それに……

人生において、こうやって他者と関わること、
その知恵や心を借りることは、
かなり重要な要素であるはず。

 

悩みというのは、世界と自分との関わりに摩擦を感じたときに生じる。

悩みの発生を否定することは、それすなわち
他者や世界との関わり、特に連携を否定することになる。

それはさすがに、ないんじゃないか。

 

最後に。

逆方向に考えてみて、
「悩んだことのない人が人の悩み相談にのれるか?」と考えたら、
ほぼ無理なんだよな。

寄り添うことができない。

 

わたしは、生来の素質としてはあまり人情家ではないと思う。

にも関わらず、
人の話を聞いて「それは辛い……」と言えるのは、言わずにおれないのは
自身が同じような悩みや心境を通ったことがあるからに他ならない。

思い悩み、苦しむ経験を重ねてきたからこそ、
相手の内情を探ったり心情を推し量ったりする努力をするに至った。
そのために必要な想像力も育ってきた。

もしもわたしが
人生の中で苦しむ時間を持たなかったら、
人の悩み事を聞いても素質のまま

『なんでそんなことで悩むの?おかしい』

『こうすりゃいいじゃん。簡単なのになんでできないの?』

という思いや言葉を発して終わっていただろう。

 

うん。

 

わたしはこのまま、
「日々悩みつつもその先を見出していく」って方向性を
続けていってみよう。

心ある人間なら、思い悩まずにいられない世界なのだし。

 

思い悩む必要がない世界の実現にはまだ距離がある。

その中で悩みが尽きないのは当たり前だ。
それがたとえ、人の悩みを聞く立場にいる人間であっても。

 

「思い悩む必要がない世界」の前段階として、
悩み事を気軽に共有できる世界をわたしは望んでいるのだから、
まずは自分から悩み事を吐露していくのも妥当であろう。

よし。

 

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